2010年8月5日木曜日

小林傳司(こばやし ただし)先生のインタビュー その2

2.科学論

―現在、先生はどのような研究をなさっているのですか?

科学とは何か? 技術とは何か? それらは社会にとって何の意味があるのか? ということを考えること。

―研究はどのような方法で行っているのですか?

本を読んで考えて、本を読んで考えて、本を読んで考えて、論文を書く、または本を書く、という哲学の研究の基本形で研究をしています。

―先生がやられている科学哲学というのはどのような学問なのですか?

科学哲学というのは、もう少し科学に対して近づいている学問です。
科学の行っている証明はどのようなものなのかとか、科学的真理とは、何がわかった時にそれを科学的真理と呼ぶのかとか、科学的方法というものはあるのだろうかとか、もっと根本的に言うと、科学とは一体何なのだろうか、といったことを考える。
例えば、数学は科学なのだろうか?

―科学だとおもいます。確実性が高いという意味で。

どうして?
確かに、科学には数学が使われてはいます。
では、数学はどういった意味で科学といえる?
数学では、実験的なデータは取れないでしょう?自然を相手にしてないでしょう?
では逆に、科学とは何だと君は解釈していますか?具体的には、どういう考え方をした時が科学的だといえる?

―最も正しいと思われる考え方をした時ですかね?

正しいと思われることは世の中にたくさんある。
さっき数学は確実だと言ったけど科学って確実か?
よく科学的事実が訂正されることもあるでしょう?
科学には分からないことが山ほどあるでしょう?
だから、研究しているわけでしょう?

―では先生は科学とは、いったい何だと思いますか?

僕は、科学というものは定義できないとおもっている。
まあ、強いて包括的に言うならば、「現象を物質の振る舞いとしてのみ記述したがる営み」かな。
科学は、精神とか、魂とかを信じて物事を説明したがらないですよね。
高校までの教育では科学が本当はどのようなものか考えさせないようにできている。
たとえば、理科の試験は100点が取れるようにつくってある。
そういうようにして、科学を数学と同じようなものとして扱っているわけです。
国語や社会では見る視点によって意見が食い違うことはあるけれども、理科の場合は「これが私の意見です」ということを言ったならば、「それは間違ってる」で終わりです。そこで、理科の問題について議論しましょうということにはならない。
科学というものは、科学者がダイナミックにいろいろと研究していって、かつての意見に修正に修正を重ねていくプロセスだということを忘れさせるような教え方がなされているわけです。
水槽に土と水とを入れて混ぜると、濁りますよね。だけど、徐々に下の方は土が溜まってきて、しまいには岩盤のようになってくる。
それで、この岩盤のようになった知識は滅多なことでは訂正されないとして、この部分だけを学校で教えているんですよ。このような教え方をしていると、教えられた側は科学というものが常に、正解を出してくれる体系だと思い込んでしまうわけです。
し かし、実際に研究している人たちは、そのように岩盤のようなところは分かりきっているから研究していない。最先端の研究というものは水槽でいう、濁ったよ うなところで行われている。そうするとそこでは、いろいろな研究者がいろいろな見解を出し合って実験をし、そしてその解釈を巡って論争をし、それから徐々 にそれが安定してくると岩盤のようになってくる。
だから、岩盤に持ち込めるような研究をした先生は、偉い先生、立派な研究者ということになる。
多くの研究者は濁り水のところで、岩盤候補もいるのだけれども、違うと言われてひっくり返ったりということを繰り返すわけですよ。
そして、それが研究であり、それによって科学は進歩する。
そういったダイナミックなプロセスを無視した教えられ方をすると、科学が万能だとか、岩盤だけが科学だと思い込んでしまうわけです。
そうではなくて、ダイナミックなプロセス全体が科学であるというような感覚をもっていただけるといいと思います。
そういった点でいくと、数学というものは少し違うなあ、ということになってきますよね。

―下から積み上げていくところが、ということですか?

そういったことも言えると思いますけど、まあ、自然を観察したり、実験をしたりすることによって前進はしないですよね。
今はコンピューターを使うことはあっても、数学は主に紙と鉛筆と頭の中の世界でしょう?
未解決問題とかね。難しい問題を解いた数学者が、凄いといわれますよね。だけど、そういった人たちは何も壮大な実験をしたというわけではありませんよね。こういったことから、数学は科学とは全然違うものだと思えるわけです。
文字の代わりに数式を使っている、という意味でとらえると、数学はどちらかといえば哲学や論理学に近いという言い方もできるでしょう。

―科学にはよく数学の手法が使われているわけですよね?

まあ、たしかに科学は、数学にとって最大のクライアントと言えるでしょうね。
昔ガリレオ・ガリレイがそのように言ったぐらいですからね。

小林傳司(こばやし ただし)先生のインタビュー その3

3.科学と一神教


話は変わりますが、科学というものが何処で生まれたかと言うと、これはヨーロッパです。今我々が科学とみなしているものは、16~17世紀のヨーロッパ人が考え出したものの見方によって生じたと言えます。
でも、人類誕生以来、世界中の人々がこの自然を眺めてきているわけです。どうしてヨーロッパだけで生まれたのかと言うと、いろいろ不思議でしょう?
しかも、16世紀という時代で世界を輪切りにした時に、ヨーロッパは物の豊かさという面では、東洋と比べると圧倒的に劣っていたわけです。西洋人がアジアに香辛料を求めてやってきたことからもわかるようにね。
しかし、その当時のヨーロッパの特徴としてもう一つあげられるのは、キリスト教文化圏であったことです。
高校の時にもう習ったかもしれないけれど、ニュートン力学に言わせると、身の回りのものが地球に向かって落ちていくことと、地球が太陽のまわりを回ることは同じ落下なわけです。同じ理屈組織で説明できるのだということをニュートンは示したのですよね。
でも、見えているものは多様じゃないですか。例えば、紙にしても木の葉にしても落下するときは、ニュートン力学で解けるようなストーンっていう落ち方はしないですよね。そういうことの方がむしろ多いじゃないか、と普通は思えるわけです。
にもかかわらず、こういった多様な落下の裏側に統一されたフォーマットを発見する前に、どうしてそのフォーマットの存在を彼らは信じることができたのか。
いくら見ても、そのような発想は生まれてこないでしょう。だから、他の多くの地域の人たちは、自然界は多様であるというような見方をしていたわけです。
ところが、キリスト教文化圏ではその自然の裏に何か統一されたフォーマットがあると信じていた。
宇宙の起源という問題は、昔から人々の関心のひとつになっていたわけだけれども、キリスト教というのは神様が一人だけっていう一神教だから、日本を含めた他の多くの地域の逸話に見受けられるような、神々の性行為によって世界が生まれたという考えがなかった。
「神が光あれといって光が生まれた」というように、宇宙は神様のひとつの作品だという発想だったわけです。
そこで、ガリレオは「神様は二冊の本を書いた。」と言っている。
「一冊は聖書、そしてもう一冊はこの自然だ。しかも、この自然は数学の言葉で書かれている。その自然を解読することが神の偉大さをほめたたえることになるのだ。」ともね。
そういう感覚を持っていたのが16世紀のヨーロッパとも言えます。
それで、そのような特異な文化から生まれてきたのが科学というわけです。


―科学は一神教から生まれたということですか?


そういう風にさえ言えるのではないかとね。
当 時としては、技術的なものでいえば、中国といった地域の方が断然進んでいた。紙も羅針盤も中国が起源だしね。言ってみれば、技術というものは豊かさとそれ なりに結びついているわけですよね。一方で、ニュートン力学というのはそうではない。ビジネスモデルとは全然関係ないよね。だけど、そういうことを考えて いた人たちがいたわけです。
だから、そういう点では科学というものは、もともと役に立つ、立たないとは関係なしにキ リスト教的な世界観とセットで生まれてきたもので、そこからキリスト教的な要素を脱臭していって、さらには数学を使ったきれいな論理体系に仕上げていくこ とによって、キリスト教を信じなくても理解できるようなシステムとして成立する。
それから世界じゅうに広まっていった、というような歴史を科学は辿ってきたわけです。


―科学は宗教から独立してきたということは、科学も一つの宗教と言えますか?


科学を宗教と言うと少し危険だけれども、昔は人々の自然現象に関する疑問に対して、科学の代わりに宗教が答えを出していたということは言えますね。

小林傳司(こばやし ただし)先生のインタビュー その4

4.日本

―科学と宗教が深く結びついていたとすれば、日本の科学観は西洋のそれと異なっていることになりますか。

当然違ってくるでしょうね。
日本と海外とでは、宗教の見方から異なっているからね。
「宗教」というものと「religion」というものは、多少違うわけです。
例えば、「あなたの宗教は何ですか」ときかれたとき、日本人のなかにはよく「私は無宗教です」と答える人がいるけれども、海外でそのような答え方はけっこう危険なんですよ。
というのも、海外の人にとって宗教というものは、その人の「倫理観の根底をなすもの」というようにとらえられている。
だから、無宗教と答えてしまうと、「この人には倫理観の根底が存在しないのか」なんていう風に思われてしまうわけです。
日本には神学部というものは、あまりありませんが、宗教が盛んだった頃、ヨーロッパの大学には必ず神学部と医学部、法学部がそろっていました。
というのも、神学はキリスト教文化圏には絶対に欠かせないものでしたし、医学は人の病気を治すのに、法学は社会の秩序を保つのに必要だったからです。
日本の大学の場合は違っていて、神学部の代わりに工学部が重要な位置を占めている。
というのも、これは明治維新以来、日本は西洋に追い付け追い越せという目標を掲げていたからで、そのためにはやはり役に立つ工学ということだったわけです。
今見渡してみても、日本の国公立大学で工学部のないところはないでしょう?
日本は今までは、工学に力を入れ、西洋追従型の方法である程度はうまくやっていたわけだけれども、現在日本は世界を動かして、またはリードしていく側にあります。
日本これからどうやっていく?ということになると、
そこで重要なのはやはり、新しいコンセプトやアイディアですよ。
だから、これからみなさんにしてほしいことは、総合大学の強みをいかして、他の学部の人とぶつかってみることだね。
それによってしか、新しい発想は生まれてこないわけですよ。

―「知デリ」がそういうことになるんですかね。

まさに「知デリ」なんかがそういうことだね。
「知デリ」にも、いつでもいいんで顔を出してみてくださいね。


 
―ぜひ行ってみたいと思います。今日先生からお聞きしたことを今後の学生生活に大いに活かしていきたいと思います。今日はありがとうございました。



感想

このインタビューを終えて、自分の中で何が変わったかと言うと、それは一言でいうとすれば、
今までの「科学観」や「宗教観」がくつがえったことだろう。
自分は18年間、これまで日本という国でしか生きていない。
そこでいつの間にか出来上がってしまっていた固定観念に気付かされた。
インタビューを通して学んだことは、「出会い」の大切さだ。
海外にいって、日本にはない自然にふれてみたり、さまざまな人に出会ったり、
日本でも、いろいろな考えをもつたくさんの人や本に出会ってみたいと強く思うようになってきた。
「出会う」ことによって自分の中の何かが押し広げられるような、それが「学ぶ」ということの喜びに似ているような気さえした。

許先生のインタビュー壱

  中国経済が世界に与える影響

~世界経済が金融危機に見舞われる中で中国経済だけが先陣を切って景気回復に向かっている。中国経済はこのまま成長を続け、世界経済回復のエンジンとなるだろうか。

 

  インタビュー相手

許衛東准教授 (経済学研究科 経済学系専攻)

・プロフィール ・・・学歴 東京大学理学研究科地理学専攻 博士単位取得満期退学

           研究内容 中国経済

  研究キーワード・・・経済地理学 アジア経済 中国経済

 

  質問項目

A.〓先ずは許先生について聞く〓

 1.日本の大学で学ぼうと思った理由

 2.許先生が研究なさっている経済地理学とは

 

B.〓中国経済の事情とそれが世界に与える影響ついて聞く〓

 1.中国経済が経済成長を遂げた理由とは 

 2.中国経済の成長はこのまま持続するのか 

 3.中国の経済躍進は世界にどのような影響を及ぼすのか、また、世界経済回復のエンジンとなるのか

 

C.〓その他気になっていたことについて聞く〓

 1.中国国内の経済格差が縮まらない理由とは

 

初めてのインタビューであったし、初対面の方と一時間以上の対談するっていうのも初めてっ。なるべく失礼のないようにっ!と思えば思うほどますます緊張していったので、先生の部屋のドアを開ける前はかなりドキドキ・・・。でもせっかくの貴重な体験なのだから楽しんでやろうと思ってドアを開けた!

 

 

 

それでは、さっそく許先生にインタビューしてみよう!

 

(以下は、許先生のインタビューを、自分なりに解釈しまとめたものである。)

 

 

  A.1.日本の大学で学ぼうと思った理由

 

    まずは、中国の大学に入った(1980年)が、ここで、国が計画経済を変えようと、そのための若手の人材育成のために、在学の大学生を募集し、各先進国の大学に留学させて、先進国の高い技術を吸収しようという試みが行われた。そこで、許先生はたまたま日本の大学を選んだ。

   学部は筑波大学で勉強し、その後Master課程は、東京学芸大学にて農業地理学の分野の熱帯農業を研究。博士課程は、東京大学で農業だけでなく産業全般など視野を広げて研究した。

 

  A.2.許先生が研究なさっている経済地理学とは

「地理学」は、土地・地表に関する学問。その前に「経済」が付いたのが経済地理学である。「なぜA工業港湾地区にあるのか」「なぜB農業が内陸の高原地帯で行われているのか」など、経済事象の場所・位置・地理的な側面にこだわるのが経済地理学である。

   したがって、経済地理学とは、資源や生産・流通・消費など経済的事象の地上における分布・立地・展開を研究課題とする学問である。経済事象の地表における展開の中に、いかなる規則性・法則性があるのかを研究する学問なのだ。

   去年のノーベル経済学賞の受賞者はアメリカ人の経済地理学者。世の中の経済の現象を説明する有効なひとつの手段として経済地理学は重視されている。今では、グローバリゼーションにより、世界のボーダレス化が進み、企業は世界各地に進出するようになり。そうなると、空間の意味が問われるようになり、より経済地理学が注目を集めた。

 

 

  B.1.中国経済が経済成長を遂げた理由とは

 

   中国は社会主義の看板を下ろしていない、共産党の一党独裁政治である。しかし、市場経済を導入している。

   中国は経済の成長のために、地域(たとえば沿岸部)に権限を与えて、地域間の競争心をひっぱりだした。外国の資本、企業を招いたり、外国と積極的に貿易をすることを許可した。ここでは、経済的に実績をしっかりと残すことを条件にしていたが、これらの地域には、経済における良性循環ができ、中国経済成長のひとつの要因となった。

 

 

  B.2.中国経済の成長はこのまま持続するのか

 

 中国の経済は、一般に以下の正反対の見方が挙げられる。

 1.中国脅威論・・・中国はSuperPower(経済で世界を動かしたり、影響を与えるような力)を持った国であり、今後も経済成長をし続けるだろう。

 

 2.中国崩壊論・・・中国は政治体制がまだ整っていないし、近代化も完成していない。また西洋的な価値観を共有できる社会にもなっていない。つまり成熟した社会が確立されていないために、中国経済はじきに崩壊する。

 

   しかし、許先生はこのどちらの考えも間違っているという。

 

   中国の経済成長率は89パーセント、日本は12パーセントであり、客観的に数値だけを見れば日本と比べても激しい成長を続けているように思える。だが、日本・アメリカ・EUなどの経済大国と中国とでは、経済成長が意味する状況が違うということを認識していなければならない。

経済大国である日本やアメリカ・EUはすでに高度経済成長を遂げ、国民は働くことを希望すれば、だいたい雇用されるような雇用先が存在する。つまり、完全雇用社会が成り立っているのだ。一方、中国は高度経済成長をまだ迎えておらず、雇用先が全然足りていない状態なのである。

   中国の経済成長率の89パーセントという数値は、日本の12パーセントという数値とは意味が異なる。中国では、1パーセントにつき約120万人近くの雇用が生まれるというが、89パーセントでは約1000万人程度で、この高い経済成長率でもまだまだ、足りないのだ。つまり中国は国家として運営し続けるためには、この程度が普通、いやこれ以上の経済成長率が必要であるということを認識しておくべきだ。

 

   たしかに中国脅威論で言われているように、外から見れば急激な成長をし続けるように見えるが、中国自身の内側から見ればたいしたものではないということである。

 

   また、成熟した社会が確立されていないとはいえ、中国崩壊論で言われるような経済の崩壊を招く程でもないようだ。

 

 

 

 

 

B.3.中国の経済躍進は世界にどのような影響を及ぼすのか、また、世界経済回復のエンジンとなるのか

 

   B.2でも見たとおり、今の中国の経済成長率は自国の運営をしていくには当然のものであるため、現在の経済大国である日本やアメリカ・EUの経済に影響を与える程の力はない。またアメリカのコカ・コーラやマクドナルドといった世界をまたにかける顔企業が中国にはないのも、その経済大国に影響を与える程の力はない理由にあたる。

   中国はあくまでもMidlePower(地域大国)であるということだ。

 

アメリカなどの各先進国を考えれば、SuperPowerになるためには、

    ・民主主義であること

    ・多元的社会であること

が必要条件であり、一党独裁の社会主義である中国ではまだまだ経済で世界を動かしたり、影響を与えるような力SuperPowerになることはできないようだ。

 

 

 

 

 

 

許先生のインタビュー弐


  C.1.中国国内の経済格差が縮まらない理由とは

 

 まず、考えなければならないことは、「経済格差は全部が全部悪い」となるのかということ。経済というものは誰が考えるかによって目標や、目的が変わってくる。例えば国家ならば、なるべくバランスよく均等に経済成長を促すという国の立場があるが、企業の場合では、企業価値を上げること・企業の拡大をすることが目的であり、このように国家と企業では、見方の違いがある。

 

 最近では、ある程度の経済の格差は仕方がないという考えが生まれている。人の能力の問題であったり、場所の問題であったり、さまざまな問題があるために、同じようにするには無理があるケースが多い。また今の時代は、先で見たとおりグローバル化、ボーダレス化により全てが、国の思うようにいかないというのが現状なのである。企業は拡大を目指すために、常に最適化を図り、集中と分散をするため、国の力ではこの偏りは変えられない。そのような場合ではある程度の経済格差は仕方がないものなのだ。

 

 中国の状況はどうであるかというとは、実は意図的に格差を作ることによって今までの経済成長を達成してきた。中国という国は、自分の国の力だけで経済を発展させる条件がなかった。そこで、資本主義の市場を活用し、または、対外的な経済をつくることによって経済発展の基盤をつくった。ここで、海外にアクセスしやすい経済特区など、それに適した場所を選ぶことによって、外国の方から人・お金・物がそこに集まる。その結果、どうしても経済の格差がでることは仕方がないものであった。経済発展のために、世界との繋がりを強めたが、内部はバランスが欠けるような状態になったのだ。

 

 しかし、いくら中国の経済が発展したからといっても、この格差をそのままの状態で放置していてもいいかと言われたらその答えは当然NOである。中国だけが経済の発展をしているというのはある意味間違いで、アメリカや日本と同様に、世界の金融危機でのダメージは中国にも降り注いでいる。今の中国はインバランスの下に成り立っているため、今まではこの状態でも自国の経済成長に対して国はまだ成り立っていたが、これからは点検、あるいは方向転換が必須なのである。そうでないと、持続する成長は見込めないのだ。

 例えば、外需に頼りすぎずに内需を重視したり、投資だけに熱を入れるのではなく今の経済大国のように消費活動を活発にしたり、企業のプロジェクトや設備の巨大化を図るだけでなく、環境やエネルギー問題を考慮した効率の良い設備をつくる。そして、都市と農村の格差をゆっくりと時間をかけてでも、是正するように努めることによって、社会の底辺部にいる人々にも経済活動への積極的な参加を促し、真の経済発展、つまり安定した社会を目指すべきなのである。

 

 

謝辞

このたびは、許先生とのインタビューを通して、中国経済のことについての勉強になっただけでなく、インタビューにおいて自分の聞きたいことをちゃんと聞くことができるか、インタビューで聞いたことをしっかりと理解し自分の言葉であらわすことができるかなど、インタビュー・調査をすることの大変さを身にしみて体感しました。

    しかし、それ以上に今回のように貴重な体験ができたこと、また、本などの情報のみでは知ることのできないことまで直接聞くことができたことに大変満足しています。このインタビューで得たものは今後の自分にとって本当に意義のあるものになったと確信しています。お忙しい中、1時間半にもわたるインタビューで、丁寧に、そして熱心にお答えしてくださったことにこの場を借りて今一度感謝申し上げます。

本当にありがとうございました!

乾賢(いぬいただし)先生へのインタビュー①

味覚のはなし

誰もが身近な「食べる」こと。


そんな「食べる」に関わる味覚について、普段「なんで?」と思うことを解決すべく、大阪大学人間科学部行動生理学研究科()()先生にインタビューして来ました!!                                                

                                         ▲乾先生                                         
●きっかけ


―まず、先生が現在の研究分野である味覚に興味を持たれたきっかけを教えてください。


僕はこの大阪大学の人間科学部に入学してずっといるんだけど、皆さんも思っているように、この学部(人間科学部)は何をやっているのかよく分からないっていう(笑)。でも、何かできそうかなと思って入ってきて、まぁ、実験をやるところがあるとはもちろん知っていたけど、大学に入ってから決めたらいいかと思っていて。

なんか、法とか経済とかはあんま僕にはピンとこなくて、それよりも、もうちょっと違う…役には立たないだろうけど、なんか研究できたらいいなと思っていました。


人間科学部で脳の研究をしているところがあるとは知らなかったんだけども、たまたま豊中の図書館で、この研究室の前任の教授が書いた本をみつけたのがきっかけかもしれない。その本の内容はとても難しくて意味もさっぱり分からなかったけど、「21世紀は脳の世紀だ!」というようなことが書いてあって、すげぇな!と思って、まずは脳に興味を持って。

それから、図書館で脳について調べたりして、面白そうだなと思って、かなり初期の段階でこの研究室に来ることを決めていました。


で、ここに配属されて初めて味覚のことを知って。

だから、味覚のことに最初はまったく興味はなくて(笑)。

興味がなかったというか、まったく知らなかった。まあ、脳のことが研究できればいいかなと思ってきたわけで。


でもやってるうちに、意外にも味覚については分かっていないことが多くて、十分魅力的な分野だなと思うようになって。

そのうち、4回生になって就職するかどうかを考えた時に、4年間だけでは十分にできなかった、もっとやってみたいというのがあったんで、とりあえず進学して研究したいと親に言って、なんとか進学させてもらいました。


2年間修士課程にいって、最初は博士課程に行くつもりはなかった、というか行ったら僕の人生、先はないやろうなという気がしたから。その頃は、文系の院卒では就職なんてないし、自立もしなあかんやろうなと思って。

だから、とりあえず就活をしたけど、まぁやる気なかったっていうのもあって、やっぱりダメで。研究したいと気持ちが強くなっていたから、親に進学させてくれって頭を下げたら、「しゃーないな」ってなって(笑)。

だから、本当はそのまま博士課程に進学する予定だったんだけど、たまたまここの助手のポストが空いて、なぜだかなる人がいなくて、教授が僕になれへんか?って言ってくれて…結局博士には行かずにそのまま就職して。ほんとラッキーだったんだけど。

だから、きっかけも何も、そっからずっと味覚を調べてて…それが味覚の研究をしている経緯です。

 ▼インタビュアー畑

―最初は「脳」だったんですね?

うん…味覚ってあんまり意識したことがなかったし、どっちかと言うと記憶だとか学習だとかに、興味を持っていたというのはあった。最初の頃に読んだ本もそういう本だったから。

この研究室に来てから、味覚って面白いなと思って…入り口はそこにあるかな。
 
―個人的には食べ物にすごい興味をもっておられたのかなと思っていたんですけど?

それは、まぁ結局味覚の研究をやりはじめてから、すごく興味を持つようになっていったというのはあります。

味をどう感じるのかとか、何で食べたいと思ったり、逆に何で嫌いになったりするのかとか…。



僕はやっぱり食べたり飲んだりっていう行動が起こるその仕組みにすごい興味があったので、それでしつこくここに残り続けたっていうのはある。


だから、別に最初からグルメでも何でもなくて(笑)。

今はやっぱりそういうことを四六時中考えたりするけど。



●味覚のはなし

―味覚に関するナゾってなんですか?

味覚はだいぶ昔から研究されていて、分かっていることもたくさんあるんだけど、実は「どうやって味を感じるのか」とか、「脳の中で味の情報がどう処理されているのか」ということについいて分かっていいこともたくさんあります。。


視覚は物理情報だから、脳の中で再現されるんだけど、味覚は化学物質だから、そういうのはなくて…でも、じゃあどうなのかは分かっていなくて。


さらに、味覚情報は大脳皮質に入るまでにいろんな中継が非常に多くて、きっとそれには何か理由があるのだろうけど、その答えはまだ出てないし、未だナゾです。


ほかにも、そういった味を感じる仕組みだけじゃなくて、味の記憶とか、いろんな機能があるけど、まだまだ分からないところがある。


というか、専門でやっていると分からないことだらけで、だから興味は尽きないっていうのはあって、次から次に調べたいことが出てくるのは魅力です。


―では、先生が研究なさっている味覚嫌悪学習について詳しく教えてください。

あんまり楽しい現象ではないけれども(笑)。

食あたりを起こすとか、そういう経験をすると、その食べ物はもう食べたくなくなる。つまり、その食べ物の味を覚えて、それを嫌いになるという学習の現象のことです。

まぁ、普通の人に話しても「あぁ、そうですか」っていう話なんだけど(笑)。


学術的に研究として評価されたのは55年前の1955年が始めてで、そのときは動物を使って、物を食べた後にX線を照射すると、体調不良になってその食べ物を食べなくなるという実験だったんだけど。

じゃあ、なんでその実験をするかというと、がんの治療で使われる放射線治療は、体にすごいダメージを与えるので、だんだん食欲がなくなっていくという問題があって、それを解決しなきゃいけないっていう臨床的な目的があって。


もうひとつは、基礎研究として、味を覚えるという記憶のひとつのいいモデルとして使われる。

味覚嫌悪学習は実験のすごくいいモデルで、ちょっと動物に負荷をかけなきゃいけないけど、何回も何回もトレーニングしてやらなきゃいけない他の記憶や学習の実験とは違って、1回の経験だけで、かつ、かなりの高い確率で成功するから、非常にやりやすい。

そういう意味で、味の記憶や学習という脳のメカニズムを調べるには、もっとも良いモデルのひとつだろうと思って、僕はずっとそれを使って実験しています。


―どうして味覚嫌悪学習は1回で、しかも高い確率で起こるんですか?

答えが分かっているわけではないんだけれども、動物にとって一番大切なことは生命を維持することで、そしたら危ないものを食べちゃいけなくて、そうすると1回経験したものは1回で覚えないといけなくて…じゃないと、何回も体調不良になってたら死んじゃうし。


だから、きっと学習しやすいメカニズムになっているだろうし、しかもそれはいろんな動物に共通してみられるメカニズムだから、動物でやったことはある程度ヒトにもあてはまるだろうし。


まぁ、生命の機能としての基盤の一つとして、かなり重要なんじゃないかなとは思っています。

②へ続く…




乾賢(いぬいただし)先生へのインタビュー②

―では、苦い・辛い・酸っぱい食べ物を本能的に拒否するということはありますか?

うん、あります。

正確には辛いっていうのは味覚ではなくて、痛覚だけども。


苦いっていうのは、もともとは毒物が持つ味だということで、動物でもヒトでも生まれた時からその味を嫌う仕組みが備わっている。

有名な実験で、ヒトの赤ちゃんに苦い味をなめさせると嫌そうな顔をして、甘い味だったら嬉しそうな顔をするというのがある。
だから、味覚の研究している人は、自分の赤ちゃんで実験してみて、奥さんに怒られたっていう話はよく聞きます(笑)。

―でも、子供の頃は嫌いでも、大人になったら、苦い食べ物でも食べられるようになりますよね?

なんでやろうね?
それももちろん不思議なことで知りたいとは思うんだけど…。


もちろん学習というのもあるんだろうけども、実験では苦味は何回やっても好きにはなってくれなくて。

たとえば、薬を使って体内から塩分を排出させてやると、普通だったら嫌がる塩っ辛い味の濃い食塩水も飲むようになるから、好きになっているようには見える。
でも、苦い味は何やっても嫌う。


で、じゃあなんで人間は?と考えると、「大人になったと見られたい」とか「大人になったらお酒ぐらい飲めないと」みたいな、きっと社会的・文化的な環境とかも関係していると僕は思ってる。

たとえばコーヒーも、最初は皆コーヒー牛乳からのスタートで、それがだんだん牛乳の量が少なくなっていって、ある日ブラックを飲むようになる。

だから、そこはやっぱり長い時間をかけての学習があっての変化かなと。
だから、環境が変わらないと嫌いなものは嫌いなままだと思うよ。

―苦くても、あとは酸っぱくても、体に良いから食べなさいって言われるけど、さっきの話では苦味は体に悪いから拒絶するんですよね?


薄い酸味なら、酢の物とかお寿司とかも好んで食べるように、酸味は強いか薄いかで好みが分かれる。だから、動物も薄い酸味なら食べる。

苦味は、植物に含まれていることが多いけど、それらは生で食べるとアクが強くて体に悪い。

                      

                                               ▲インタビューの様子

でも、まぁ難しいところで、調理すればある程度苦くても栄養素を豊富に含んでいるから、野菜とかは特にそうだけど、食べなさいと言われればしょうがないよね(笑)。


だからまぁ、食べ物の苦味は純粋な苦味ではなくて、味付けもしてあって、ほんのり苦いとか、旨味や甘味もあったりとかするから食べられるんじゃないかな。
まぁ、苦いから良いってわけではないとは思うんだけど。

●夢


―この研究の応用はどのようになされていくんですか?

あー…最近は応用を考えなきゃいけないとかよく言われるけど、正直僕は何も考えていないというのが本音です。

というのは、基礎研究というのは好奇心があって追究していくのが大事で、だからと言って何をやってもいいというわけではもちろんないけど、役に立つことじゃないとあかんっていうのだったら、おもしろくないしね。

ただ、自分の出した成果を誰かが利用することによって、応用面で役に立つのであればそれは良いことだし。

でもきっとそれは、いろんなものが蓄積されてそうなっていくものだから、目に見える形で自分のやったことを役立てるというよりは、自分のやったことを成果として発表していくことが大事かなと。


あと、僕の興味としては、味覚嫌悪学習をもっと広げて、食べたり飲んだりといった行動の制御というか、どうやってそれがなされるのか、特に味覚や嗅覚の情報が脳や体でどのように処理されているのかを調べたいと思っています。
それが結果的に拒食症治療とかの臨床的な面につながっていけばいいかなと思います。今のところは。
いつか大きな夢を語りたいと思います。

―ぜひ今の時点での夢を語ってください!

今の時点の夢?!

そりゃ、ノーベル賞を取りたいっていう邪心?はあるけれども。

―おぉ!!

まぁ、いろいろ段階を経て、NatureとかScienceとかの有名な科学雑誌に載るような研究結果を出して発表したいというのもあるけど。

でもやっぱり具体的な今の研究の夢っていうのは、さっき言ったような体全体での食べたり飲んだりという行動のメカニズムを明らかにしたいと思う。
ただ、それは目標というよりも、もっと遠い、生きてる間に解明できるかどうか分からないような複雑なメカニズムだと思うけど、それをいつか引退する時にひとつの大きな絵として描けるようになりたいというのがひとつの夢としてはあります

●感想

私が普段ギモンに思っていたことは、学術的にも未だナゾで、味覚には分からないことだらけだということに驚きました。人間にとってだけでなく、すべての動物にとって欠かすことのできない「食べる」という行動には、身近だからこそ明らかにしきれない“生命の根源”があるのではないか、と感じさせられました。

そんな味覚に向き合う乾先生には、今回無茶な質問をいろいろと投げかけてしましましたが、先生は優しく丁寧に答えてくださって、非常に有意義なインタビューとなりました。乾先生には改めてここに感謝いたします。    




大阪大学法学部国際公共政策学科1回 畑英里