Life says, "Take It Easy!".
※この記事は4回シリーズです。
【第1回】 生命とは?
【第2回】 不思議なW杯
【第3回】 Be Indecisive!
【第4回】 生命は予測を超える
わたしはもともと、生命が生きようとすることに、興味があったんです。
生きようとする、っていうのは、たとえば…、
『植物は、根をふかくひろく伸ばそうとする。』 、とか、
『他の植物と重ならないように葉っぱを広げようとする。』 、というようなことです。
だけど、生き“よう” 、自己を維持“しよう”、子孫をのこ“そう”、というのは
ニンゲンの一方的な、擬人法的な解釈で・・・
そうです、そうです
結局は、生きるということは、化学反応にすぎないんでしょうか?
ソトから視たときの解釈としては、
「生命は、『○○しよう。』と思っている。」と解釈したって、あやしいことはないし、
いま、あなたが何か思っている、ということも、極端に言えば、
「原子や分子に『○○しよう。』、と思わされている。」、みたいに考えたって、問題はなさそうだよね。
ない。
ない。って、答えますよね。
机は生きていなくて、僕は生きている、というのはすぐ分かるよね。
生きているものと生きていないものの違いは、目で見りゃすぐわかりますよね。
たしかに僕らは、無生物と生物、は、なんかちがうよなあ、と思っていて…
たしかに僕らは、無生物と生物、は、なんかちがうよなあ、と思っていて…
それでも、結局、生きる、イコール、化学反応、ですか?
だけど、「生命は、ただの化学反応の集まりですか?」と言われたら…、違う、って思ってますよね?
うーん…。でも、究極的考えたらそうなんじゃないのかなー…?と。
なるほど。難しい質問ですけれど…。
だけどまあ、物質ですよね。
ウイルス、いま口蹄疫はやってるけど…、は、増えていくし、進化していくし。
けど、これ、結晶になったりするんですよ。
ただの物質、つまり、まったく代謝してない状態で取り出せたりします。
葉っぱの話だって、そういうこと言ってるでしょ?
化学反応はなるべく、世界の、確率の高い方向にうごいている。
Aが不安定でめずらしい状態、Bが安定であたりまえの状態なら、Bにいくよね。
あたりまえのほうにいくんです。
コップを落とすと割れる、という方向にはいくけど、元にもどる方向にはいかない。<図1>
目的をなんだと思うか?ですよね。
ふえる、のが目的だと思うと、生きものは目的をもっているように思えてくる。
Bのところにいくのが目的だとすると、Bにいくのが、目的になりますよね。
さて…「目的を勝手にきめているのは誰かしら?」みたいなことですよね。
言いようってなもんだな。まあだから…、
精子は、生きてると思う?
生きてると思う。
生きていると思う??
そうなのかなあー??よく卵と精子の出会いとか言うけど…。
いまそれ、言いようですよね。
精子はね、エネルギーなくなっちゃうと、止まっちゃうんですよ。
でね、精子は精子だけだと、ふえないんですよ。…どう?
生きてない…。わたしは、ふえないと生きてないと思います。
精子は増えないよね。
じゃあ…、ES細胞は、どう思う?
ふえるから…。
ふえるよー、これ。
じゃあ…生きてる?
生きてる?
…死んだ生きものの核から再生させたやつでも?
…えっ。
無生物から生物ができるの?
……。
…ふえているのを目で見たら、生きていると思っちゃうよね。
コンピューターのソフトが勝手に進化していくアーティフィシャル・セル、
これはふえるし、進化するし、代謝もする。
情報とかもダイナミカルで、
お金の出し入れという意味で、代謝がおこなわれるよね。
…どお?生きてる?
ハスの種は、何千年もじっとしていることができる。生きてる?
生きてる間、なんにもしないんだよ?
…い、いき…。 無理です、もう分からないです…。
いや、ね。…っていうことなんですよね。
何が言いたいかって、結局、何をもって生きてるとするか、物質と生きものの境目みたいな話、は、
われわれが体験することによって学ぶようなことですよね。
つまり、「生命とは○○です。」、というように、科学みたいに定義があるようなもんではなくて。
定義は正直、まだちゃんとない。
生命=ふえる、とか、「じゃあ、ふえない精子はどうするの?」とか、
生命=代謝をする、なら、「じゃあ、しないのはどうするの?」って、なるでしょ。
死んだひとからだって、細胞を取り出せるわけだし。
生命が物質からできていること、化学反応にすぎないこと、に関しては、イエス。
だけど、無生物と生物にちがいがあるのも、僕らは『知っている』。
だけどそのちがいを何だと言え、と言われると…、言えなくて。
体験して、脳のなかで、定義ができてくるんですよね。
そう思って、僕らの研究室では、
自分で油の膜をつくって、そのなかに遺伝子をいれて。
遺伝子がタンパク質をつくって、そのタンパク質が元の遺伝子をふやして、
倍、倍、倍…ってふえていく、っていうのを完全にいま、つくってるんです。
「なんでやってるか?」というと、結局、体験する、ということ。
科学として、「人工細胞をつくろう。」とか、「だれかの役に立ちましょう。」、とか、いろいろあるけれど、
僕のホントの心根は、「じぶんの目の前で見てみたい。」、というもので。
あなたに、「生命は物質の集合体ですかね?」ってきかれて、「イエス!そうです!」って答えるためには、
自分で生物と物質の間を埋めれば、…納得しちゃうよね。
で、納得しちゃう、ということの意味は、結局、自分で体験することだ、と僕は思っていて。
もちろん科学だから、「みんなのためにやってます。」、って言わなきゃダメなんだけど…。
究極的には、じぶんの目の前で見てみたい。
それが、生命はなにか、の問題を解決する方法でもある。
たとえばさ、「愛ってなんですか?」 って、答えられる?
えっ?ええー…?
あのひとすき!、とかさ。愛だの恋だの。
愛…ええぇ…?…え?見返りをもとめないこと?
見返りもとめるひといっぱいおるやん(笑)。
そうですよね(笑)。ちょっ…と待った(笑)。
大丈夫かそんなこと言って(笑)。
(笑)。
ダメダメ(笑)。いまのナシ(笑)なしなしなし(笑)。
(笑)。
(笑)。化学反応の一部だと思うけどね。
愛が?
うん。…じゃないの?
…で、さ、愛とか恋はさ、体験したら、こういうもんだって、知ってるよな。
知ってるけど、「じゃあ、どういうもんか言え。」、言うたら…言えるか?と。どう?
言えない…です。
つまり、つくるとか、体験することはできるけども、定義は言えないものはあるわけよ。世の中には。
ああー!なるほど、そうか。
1人称的に体験することでしか分かりえないこと。
だって、納得いかないでしょ?生きる=化学反応だなんて。納得できない。
納得するためには、究極的には、つくってわかる、というのが、ひとつの方法、かと。
【第2回へ続きます。】
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