2010年8月18日水曜日

四方哲也教授へのインタビュー【第1回】


Life says, "Take It Easy!".



                
                ※この記事は4回シリーズです。

                     【第1回】 生命とは?
                     【第2回】 不思議なW杯
                     【第3回】 Be Indecisive!
                     【第4回】 生命は予測を超える








 
 わたしはもともと、生命が生きようとすることに、興味があったんです。

  
   生きようとする、っていうのは、たとえば…、
 『植物は、根をふかくひろく伸ばそうとする。』 、とか、
 『他の植物と重ならないように葉っぱを広げようとする。』 、というようなことです。



 だけど、生き“よう” 、自己を維持“しよう”、子孫をのこ“そう”、というのは
 ニンゲンの一方的な、擬人法的な解釈で・・・


 うんうん、「○○しよう。」、とか言ってるところがでしょ、カミサマが宿ってるみたいなね。

 
 そうです、そうです
 結局は、生きるということは、化学反応にすぎないんでしょうか?
 
 ソトから視たときの解釈としては、
 「生命は、『○○しよう。』と思っている。」と解釈したって、あやしいことはないし、
 いま、あなたが何か思っている、ということも、極端に言えば、
 「原子や分子に『○○しよう。』、と思わされている。」、みたいに考えたって、問題はなさそうだよね。


 だけど、原子や分子に、意志は・・・、

 
 ない。

 
 ない。って、答えますよね。


 でも…、

 
 机は生きていなくて、僕は生きている、というのはすぐ分かるよね。
 生きているものと生きていないものの違いは、目で見りゃすぐわかりますよね。
 
 たしかに僕らは、無生物と生物、は、なんかちがうよなあ、と思っていて…

 
 それでも、結局、生きる、イコール、化学反応、ですか?


 そうですね。化学反応が起こっている、イエス、そのとおり。

 
 だけど、「生命は、ただの化学反応の集まりですか?」と言われたら…、違う、って思ってますよね?

 
 うーん…。でも、究極的考えたらそうなんじゃないのかなー…?と。

 
 なるほど。難しい質問ですけれど…。


 雪の結晶…、冷たい部屋に水蒸気を置いておくとできてきますね、綺麗だなあ…と思う。
 だけどまあ、物質ですよね。
 
 ウイルス、いま口蹄疫はやってるけど…、は、増えていくし、進化していくし。
 けど、これ、結晶になったりするんですよ。
 ただの物質、つまり、まったく代謝してない状態で取り出せたりします。

 
 生きものって、うごいていて、ふえて、で、なんとなくソトから見たら、目的をもっているように見える。
 葉っぱの話だって、そういうこと言ってるでしょ?


 そうです、そうです。


 化学反応はなるべく、世界の、確率の高い方向にうごいている。

 Aが不安定でめずらしい状態、Bが安定であたりまえの状態なら、Bにいくよね。
 あたりまえのほうにいくんです。

 コップを落とすと割れる、という方向にはいくけど、元にもどる方向にはいかない。<図1>


 目的をなんだと思うか?ですよね。



 ふえる、のが目的だと思うと、生きものは目的をもっているように思えてくる。
 Bのところにいくのが目的だとすると、Bにいくのが、目的になりますよね。
 
 さて…「目的を勝手にきめているのは誰かしら?」みたいなことですよね。


 言いようってなもんだな。まあだから…、


 精子は、生きてると思う?


 生きてると思う。
 
 生きていると思う??


 そうなのかなあー??よく卵と精子の出会いとか言うけど…。


 いまそれ、言いようですよね。


 精子はね、エネルギーなくなっちゃうと、止まっちゃうんですよ。
 でね、精子は精子だけだと、ふえないんですよ。…どう?


 生きてない…。わたしは、ふえないと生きてないと思います。


 精子は増えないよね。
 じゃあ…、ES細胞は、どう思う?


 ふえるから…。


 ふえるよー、これ。

 じゃあ…生きてる?


 生きてる?
 …死んだ生きものの核から再生させたやつでも?
 
 …えっ。


 無生物から生物ができるの?


 ……。


 …ふえているのを目で見たら、生きていると思っちゃうよね。

 コンピューターのソフトが勝手に進化していくアーティフィシャル・セル、
 これはふえるし、進化するし、代謝もする。


 情報とかもダイナミカルで、
 お金の出し入れという意味で、代謝がおこなわれるよね。


 …どお?生きてる?

 ハスの種は、何千年もじっとしていることができる。生きてる?
 生きてる間、なんにもしないんだよ?


 …い、いき…。 無理です、もう分からないです…。 


 いや、ね。…っていうことなんですよね。


 何が言いたいかって、結局、何をもって生きてるとするか、物質と生きものの境目みたいな話、は、
 われわれが体験することによって学ぶようなことですよね。


 つまり、「生命とは○○です。」、というように、科学みたいに定義があるようなもんではなくて。
 定義は正直、まだちゃんとない。


 生命=ふえる、とか、「じゃあ、ふえない精子はどうするの?」とか、
 生命=代謝をする、なら、「じゃあ、しないのはどうするの?」って、なるでしょ。


 死んだひとからだって、細胞を取り出せるわけだし。


 生命が物質からできていること、化学反応にすぎないこと、に関しては、イエス。


 だけど、無生物と生物にちがいがあるのも、僕らは『知っている』。
 だけどそのちがいを何だと言え、と言われると…、言えなくて。


 体験して、脳のなかで、定義ができてくるんですよね。


 そう思って、僕らの研究室では、
 自分で油の膜をつくって、そのなかに遺伝子をいれて。
 遺伝子がタンパク質をつくって、そのタンパク質が元の遺伝子をふやして、
 倍、倍、倍…ってふえていく、っていうのを完全にいま、つくってるんです。


 「なんでやってるか?」というと、結局、体験する、ということ。
 科学として、「人工細胞をつくろう。」とか、「だれかの役に立ちましょう。」、とか、いろいろあるけれど、
 僕のホントの心根は、「じぶんの目の前で見てみたい。」、というもので。


 あなたに、「生命は物質の集合体ですかね?」ってきかれて、「イエス!そうです!」って答えるためには、
 自分で生物と物質の間を埋めれば、…納得しちゃうよね。


 で、納得しちゃう、ということの意味は、結局、自分で体験することだ、と僕は思っていて。
 もちろん科学だから、「みんなのためにやってます。」、って言わなきゃダメなんだけど…。


 究極的には、じぶんの目の前で見てみたい。
 それが、生命はなにか、の問題を解決する方法でもある。


 たとえばさ、「愛ってなんですか?」 って、答えられる?


 えっ?ええー…?


 あのひとすき!、とかさ。愛だの恋だの。


 愛…ええぇ…?…え?見返りをもとめないこと?


 見返りもとめるひといっぱいおるやん(笑)。


 そうですよね(笑)。ちょっ…と待った(笑)。


 大丈夫かそんなこと言って(笑)。


 (笑)。


 ダメダメ(笑)。いまのナシ(笑)なしなしなし(笑)。


 (笑)。

 
 (笑)。化学反応の一部だと思うけどね。


 愛が?


 うん。…じゃないの?


 …で、さ、愛とか恋はさ、体験したら、こういうもんだって、知ってるよな。
 知ってるけど、「じゃあ、どういうもんか言え。」、言うたら…言えるか?と。どう?


 言えない…です。


 つまり、つくるとか、体験することはできるけども、定義は言えないものはあるわけよ。世の中には。
 
 ああー!なるほど、そうか。


 1人称的に体験することでしか分かりえないこと。


 だって、納得いかないでしょ?生きる=化学反応だなんて。納得できない。
 納得するためには、究極的には、つくってわかる、というのが、ひとつの方法、かと。


【第2回へ続きます。】

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