2010年8月18日水曜日

四方哲也教授へのインタビュー【第3回】









 「どんどん良くなる、という線が進化ですか?」、って、「良くなる話がない。」って言ってるわけじゃなくて、

 それはそれであるんだけど。それだけかいな、と。


 …良くなるんなら、「人間は進化の最高峰かい?」となるわけだよね。


 もし、よくできてる、と言っても、「何と比べてよくできてるか?」だよね。比べる時に。


 そうですね。


 「わたしはすごいよくできてる!」、と思うじゃない、仮に。さて…何に比べて?


 ヒューマノイド?…違うよな。チンパンジー?
 「何と比べて『わたしはよくできている。』と言えばいい?」、ということは、わからないじゃない?
 このままでは。


 僕は生物が一般的にどれぐらいよくできているのか、疑問だったんです。


 それで、ずっと昔に実験で、
 設計図である遺伝子に、適当に変異を加えてみた。
 「ものすごくよくできているなら、全部の機能が落ちるはずだ。」、と。


 すごくチューニングしてあるなら、ちょびっといじったら全部こわれるよね。
 あんまたいしてよくできてなくて、どうでもいいところがたくさん残ってたら、あんまりこわれない。


 100個ぐらい突然変異体を調べると、
 5%ぐらいは、機能がいいものができちゃった。天然より。
 同じぐらいかちょっと悪いものが60%ぐらい。残りが、機能が下がった。


 ということは、まあ・・・、完全には最適化されてないよね、というのが1つの答え方。
 
 「どれぐらい最適化されてるんですか?」、と。


 「完全には最適化されていない。」


 …そして、進化を考えるとき、
 アノマロカリス、ティラノサウルス、ニンゲン…、
 これらは、なんとなくすごい機能を持っていて、その時々で世界を席捲していたように思うよね。

 これがよくできているか?と言うと、
 まあ、ある意味、大脳の構造とかがどんどん良くなっていってるように見えるから、そう見えるじゃない?


 でも、生きてる時間を考えると、大腸菌だってエチゼンクラゲだって、同じぐらいすごいよね。
 滅んでないわけだから。


 それでさ、さっきの実験の話から、
 ティラノサウルスとかは、“スーパー○○”にならないんだよね。
 で、よくよく考えると、アノマロカリスやティラノサウルスは、進化の歴史の中で、…滅んでるんだよね。

 そして、「さて人間は…?」、と思うけど。
 
 なにがちがうか?と考えると、


 さっきの、ふらふらしたから生き残った話に戻しますが…、


 
 こっちは最適化しようとしている。<図5>

 「進化っていうのは、標準的にどんどんよくなるんですかねー?」って言ってんのは、
 こっち(図5)の世界なんですけど。
 これは、ある特定の環境にむけて、ギューっとチューニングしていって、


 いいものをつくろうって感じだよね。
 だけど、氷河期がきたり、二酸化炭素が増えちゃったり、わけわかんないことが起こるわけじゃない?

 そうすると、ある特定の環境にむけてキチッとチューニングしてるから、
 ふらふらの部分がなくて、…滅ぶわな。

 こっちは、形も、遺伝子の発現もいい加減です。<図6>


                                      


 これらは、もともとチューニングしていないので、ふらふらしているわけですよ。

 少々環境が変わっても、自分たちがつくりだすふらふらの中で、たまたまうまくいくのを見つけやすい。


 「優柔不断がいい!」って言ってるわけじゃないけど…。


 進化には2つのモードがあって。


 1つは最適化です。そういう意味では、「ニンゲンはすごいなー。」と言える。
 チンパンジーにやっつけられたりしない、ヒトはね。ヒトは鉄砲もったりするから。
 いまの地球のこれぐらいの温度に最適化している、と言われると、
 ヒトはすごいな、と思うかもしれないけれど、


 長い長い時間を考えて、
 「(図5と図6の)どっちが最終的に、あと1万年とか、100万年とか生き残ってるか?」
 と聞かれると…どっちでしょうね?


 ポイントは、
 これからワケわかんないことがいっぱい起こるんです、温暖化とか。僕も予想もできないけど。
 それに対応するには、過度に機械みたいにチューニングするのがいいわけじゃなくて、
 ほどほどに、いい加減に。


 実際、彼ら大腸菌やエチゼンクラゲは、ほどほどにいい加減であり、
 過去に起こった氷河期とか、いろんなことのなかでも、
 形を変えずに、ずっとこの種のままで生き残ってきた。
 
 だけど、アノマロカリスやティラノサウルスの流れは、過去にいろいろ起こったとき、
 …ほぼほぼ滅んでいる。


 …なので、2つ軸があって。


 “スーパー○○”にならないのは、実際に細胞はいい加減だからですし、
 ニンゲンも、“スーパー○○”ではありません。


 「それはなぜ?」って、
 進化について、いま見ているのは持続性で、適応性じゃない。
 適応性だけなら“スーパー○○”になってもいいんだけど。


 忘れられていることは、
 いま生き残っている生物というのは、38億年前に生物がうまれてから1回も、
 親から子への遺伝子の受け渡しをしくじらなかったものたちだ、ということ。


 『スーパーふえる』、ということも大事だけど、『スーパーとぎれない』、が大事。もっと。


 大腸菌やエチゼンクラゲは、
 自分がふらふらすることによって、どんな環境がやってきても、『スーパーとぎれない』。


 「進化は最適化ですか?」 「それだけではありません。」、が答えかな。


 『スーパーとぎれない』。…持続性、とか、最近のはやり言葉ですけどね。


 僕らの研究室では、そういうことを実験でつくってるって感じなんですけど。
 一般的にも、『スーパーとぎれない』、が、大事。


 その優柔不断さ、というのは遺伝子に入ってるんですか?決まってるんですか?
 生きものは、生まれたときから優柔不断なんですか?


 もともと、ただのものをあつめただけだったら、スーパーできちっとしてないよね。それはいい?


 うんうん。

 顕微鏡をのぞいたら、小さい世界ってのはブラウン運動をしてたり、いい加減なんですよね、世の中はね。
 で、そこから生命はできた、と、僕らは思っているわけじゃないですか。


 クルマを完璧につくることは、できますよね、
 進化には、さっきも言ったように、
 チューニングする方向と、そうじゃなくて、ふらふらを維持していく方向の、2つがある。
 
 あなたも生物の一環なんだったら、必ず2つのものを持ってると思うんですよね。


 もともと世界はキッチリしていなくて、そこからつくられたので、
 いっぱいいっぱいキッチリとしようとしたって、なかなか…きびしいんじゃないの(笑)。


 きびしい、きびしい(笑)。そうですね。


 いやあ…「だからいい加減に授業してもいいんだ!」とは言わんけど、大学のセンセイとして(笑)。


 そーれーは…(笑)。


 (笑)。


 このままずっとヒトがチューニングしていったら、“ヒトの次”は、あるんですか?人で終わっちゃう?


 そうだね、ヒトで…。


 進化がさ、ヤバイのはさ、自分の競争相手をどんどんつくりだしてるところなんだよね。
 「競争してなんとかします!」、って言った途端に、
 「どんどん自分は滅びます!」、って宣言しちゃってるんだよな。そもそも。


 だから、あんまり最適化とか競争原理だけを言ってると、そうなっちゃう。
 「どこかで怠けて寝ときましょう…。」というのが…長続きの秘訣(笑)。



 ロボットの研究とか、さかんじゃないですか。いま。

 わたしは、「ヒトをヒトたらしめたのは何か?」、ということにもすごい興味があって。


 あの…、わたしのお父さんとお母さんの精子と卵が出会って、
 他でもない『このわたし』が生まれた、っていうのは、確率で言えばすごいかもしれないけれど、
 だけど、わたしのお父さんとお母さんはニンゲンだから、わたしは、生まれたらどうせニンゲンだった。
 生まれたのなら、わたしはニンゲンで、つまり、ヒトとしてわたしは生きていくわけで。
 おサルとか、鳥とかじゃなく。


 はいはい。


 「だったら、ヒトとして生きないと!」、と思ったんですよ。
 じゃあ、「ヒトっぽく生きるのは、どうしたらいいんだろう?」って、わかんなくて。


 ヒトっぽくね。


 でも、そうですね、ヒトも…、結局は、ヒトも、完璧じゃないですね。


 機械じゃないしね。ほどほどに、ゆるゆるに(笑)。


 …別の言い方をすると、「機械と、どこが違うんですか?」ってね。
 “スーパーヒューマン”のたとえというのは結局、機械をどこかに思い浮かべて、
 ものすごくチューニングされたものを思い浮かべていると思うんですよ。


 そうですね。


 だけど、素朴に言えば、ですよ、僕とパソコンとを比べると、
 『入力したら○○をする。』ということが、パソコンではすごく決まってるんですよ。


 だけど、僕が何を言うかは、わからないでしょ?


 つまりその、予測できなさ感が、生きものらしさを、人間らしさを、会話を、“らしく”させてるんだよね。


 予測できないでしょ?僕のこと。
 「絶対に次に言うことわかってるから!」、という奴とは、話したくないよね?


 さっきも言ったけど、要するに、決まってないとか、いい加減っぷりが激しいんだよね、生きものは。


 あなたが「自由に生きたい。」って、かっこよく言ってもいいし、
 「いい加減に、優柔不断に生きたい。」って言ったっていい。
 でも、カミサマの立場からすると、「ああ、生き物らしいなあ…。」って、なってると思うよ。


 そうかあ…。


 わたしは元々、「ヒトなんて、そんなたいしたことないハズよ。」、って思っていて、
 それでも、「ヒトのすごさって何だろう?」って一応は考えてみたんです。


 だけど、どんなに考えたって、やっぱりヒトだって、結局は化学反応の集まりにすぎなくて。
 …ヒトのすごさが、わかんないですね。


 ヒト…すごい?


 何に比べて、やんね。結局。すごい、というのは、何に比べて?


 いや、わたし、べつに、サルで生まれてきてもよかったのに…とか。


 うん、よかったと思うよ。


 …「ヒトのヒトたる所以を知りたい。」、と。
 「でも、そう考えてるわたしも化学反応だし…。」、ってことですよね。


 そうなんです。
 
 だけどまあ…、「わたしはわたしだ。」と思ってること自体が化学反応で、
 そこで、「わたしはわたしだ。」、と思っておくことについては、なんの悪いこともないからね。
 それでいいんじゃない?それが化学反応であろうとなかろうと。


 ソトに基準が求められない、というものがあったりする。


 難しい問題ですが…。


 そうですね。


 うん。いつかわかるかもしれない。


 はい。


【第4回に続きます。】

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