「どんどん良くなる、という線が進化ですか?」、って、「良くなる話がない。」って言ってるわけじゃなくて、
それはそれであるんだけど。それだけかいな、と。
…良くなるんなら、「人間は進化の最高峰かい?」となるわけだよね。
もし、よくできてる、と言っても、「何と比べてよくできてるか?」だよね。比べる時に。
そうですね。
「わたしはすごいよくできてる!」、と思うじゃない、仮に。さて…何に比べて?
ヒューマノイド?…違うよな。チンパンジー?
「何と比べて『わたしはよくできている。』と言えばいい?」、ということは、わからないじゃない?
このままでは。
僕は生物が一般的にどれぐらいよくできているのか、疑問だったんです。
それで、ずっと昔に実験で、
設計図である遺伝子に、適当に変異を加えてみた。
「ものすごくよくできているなら、全部の機能が落ちるはずだ。」、と。
すごくチューニングしてあるなら、ちょびっといじったら全部こわれるよね。
あんまたいしてよくできてなくて、どうでもいいところがたくさん残ってたら、あんまりこわれない。
100個ぐらい突然変異体を調べると、
5%ぐらいは、機能がいいものができちゃった。天然より。
同じぐらいかちょっと悪いものが60%ぐらい。残りが、機能が下がった。
ということは、まあ・・・、完全には最適化されてないよね、というのが1つの答え方。
「どれぐらい最適化されてるんですか?」、と。
「完全には最適化されていない。」
…そして、進化を考えるとき、
アノマロカリス、ティラノサウルス、ニンゲン…、
これらは、なんとなくすごい機能を持っていて、その時々で世界を席捲していたように思うよね。
これがよくできているか?と言うと、
まあ、ある意味、大脳の構造とかがどんどん良くなっていってるように見えるから、そう見えるじゃない?
でも、生きてる時間を考えると、大腸菌だってエチゼンクラゲだって、同じぐらいすごいよね。
滅んでないわけだから。
それでさ、さっきの実験の話から、
ティラノサウルスとかは、“スーパー○○”にならないんだよね。
で、よくよく考えると、アノマロカリスやティラノサウルスは、進化の歴史の中で、…滅んでるんだよね。
そして、「さて人間は…?」、と思うけど。
なにがちがうか?と考えると、
さっきの、ふらふらしたから生き残った話に戻しますが…、
こっちは最適化しようとしている。<図5>
「進化っていうのは、標準的にどんどんよくなるんですかねー?」って言ってんのは、
こっち(図5)の世界なんですけど。
これは、ある特定の環境にむけて、ギューっとチューニングしていって、いいものをつくろうって感じだよね。
だけど、氷河期がきたり、二酸化炭素が増えちゃったり、わけわかんないことが起こるわけじゃない?
そうすると、ある特定の環境にむけてキチッとチューニングしてるから、
ふらふらの部分がなくて、…滅ぶわな。
こっちは、形も、遺伝子の発現もいい加減です。<図6>
これらは、もともとチューニングしていないので、ふらふらしているわけですよ。
少々環境が変わっても、自分たちがつくりだすふらふらの中で、たまたまうまくいくのを見つけやすい。
「優柔不断がいい!」って言ってるわけじゃないけど…。
進化には2つのモードがあって。
1つは最適化です。そういう意味では、「ニンゲンはすごいなー。」と言える。
チンパンジーにやっつけられたりしない、ヒトはね。ヒトは鉄砲もったりするから。
いまの地球のこれぐらいの温度に最適化している、と言われると、
ヒトはすごいな、と思うかもしれないけれど、
長い長い時間を考えて、
「(図5と図6の)どっちが最終的に、あと1万年とか、100万年とか生き残ってるか?」
と聞かれると…どっちでしょうね?
ポイントは、
これからワケわかんないことがいっぱい起こるんです、温暖化とか。僕も予想もできないけど。
それに対応するには、過度に機械みたいにチューニングするのがいいわけじゃなくて、
ほどほどに、いい加減に。
実際、彼ら大腸菌やエチゼンクラゲは、ほどほどにいい加減であり、
過去に起こった氷河期とか、いろんなことのなかでも、
形を変えずに、ずっとこの種のままで生き残ってきた。
だけど、アノマロカリスやティラノサウルスの流れは、過去にいろいろ起こったとき、
…ほぼほぼ滅んでいる。
…なので、2つ軸があって。
“スーパー○○”にならないのは、実際に細胞はいい加減だからですし、
ニンゲンも、“スーパー○○”ではありません。
「それはなぜ?」って、
進化について、いま見ているのは持続性で、適応性じゃない。
適応性だけなら“スーパー○○”になってもいいんだけど。
忘れられていることは、
いま生き残っている生物というのは、38億年前に生物がうまれてから1回も、
親から子への遺伝子の受け渡しをしくじらなかったものたちだ、ということ。
『スーパーふえる』、ということも大事だけど、『スーパーとぎれない』、が大事。もっと。
大腸菌やエチゼンクラゲは、
自分がふらふらすることによって、どんな環境がやってきても、『スーパーとぎれない』。
「進化は最適化ですか?」 「それだけではありません。」、が答えかな。
『スーパーとぎれない』。…持続性、とか、最近のはやり言葉ですけどね。
僕らの研究室では、そういうことを実験でつくってるって感じなんですけど。
一般的にも、『スーパーとぎれない』、が、大事。
その優柔不断さ、というのは遺伝子に入ってるんですか?決まってるんですか?
生きものは、生まれたときから優柔不断なんですか?
もともと、ただのものをあつめただけだったら、スーパーできちっとしてないよね。それはいい?
うんうん。
顕微鏡をのぞいたら、小さい世界ってのはブラウン運動をしてたり、いい加減なんですよね、世の中はね。
で、そこから生命はできた、と、僕らは思っているわけじゃないですか。
クルマを完璧につくることは、できますよね、
進化には、さっきも言ったように、
チューニングする方向と、そうじゃなくて、ふらふらを維持していく方向の、2つがある。
あなたも生物の一環なんだったら、必ず2つのものを持ってると思うんですよね。
もともと世界はキッチリしていなくて、そこからつくられたので、
いっぱいいっぱいキッチリとしようとしたって、なかなか…きびしいんじゃないの(笑)。
きびしい、きびしい(笑)。そうですね。
いやあ…「だからいい加減に授業してもいいんだ!」とは言わんけど、大学のセンセイとして(笑)。
そーれーは…(笑)。
(笑)。
このままずっとヒトがチューニングしていったら、“ヒトの次”は、あるんですか?人で終わっちゃう?
そうだね、ヒトで…。
進化がさ、ヤバイのはさ、自分の競争相手をどんどんつくりだしてるところなんだよね。
「競争してなんとかします!」、って言った途端に、
「どんどん自分は滅びます!」、って宣言しちゃってるんだよな。そもそも。
だから、あんまり最適化とか競争原理だけを言ってると、そうなっちゃう。
「どこかで怠けて寝ときましょう…。」というのが…長続きの秘訣(笑)。
ロボットの研究とか、さかんじゃないですか。いま。
わたしは、「ヒトをヒトたらしめたのは何か?」、ということにもすごい興味があって。
あの…、わたしのお父さんとお母さんの精子と卵が出会って、
他でもない『このわたし』が生まれた、っていうのは、確率で言えばすごいかもしれないけれど、
だけど、わたしのお父さんとお母さんはニンゲンだから、わたしは、生まれたらどうせニンゲンだった。
生まれたのなら、わたしはニンゲンで、つまり、ヒトとしてわたしは生きていくわけで。
おサルとか、鳥とかじゃなく。
はいはい。
「だったら、ヒトとして生きないと!」、と思ったんですよ。
じゃあ、「ヒトっぽく生きるのは、どうしたらいいんだろう?」って、わかんなくて。
ヒトっぽくね。
でも、そうですね、ヒトも…、結局は、ヒトも、完璧じゃないですね。
機械じゃないしね。ほどほどに、ゆるゆるに(笑)。
…別の言い方をすると、「機械と、どこが違うんですか?」ってね。
“スーパーヒューマン”のたとえというのは結局、機械をどこかに思い浮かべて、
ものすごくチューニングされたものを思い浮かべていると思うんですよ。
そうですね。
だけど、素朴に言えば、ですよ、僕とパソコンとを比べると、
『入力したら○○をする。』ということが、パソコンではすごく決まってるんですよ。
だけど、僕が何を言うかは、わからないでしょ?
つまりその、予測できなさ感が、生きものらしさを、人間らしさを、会話を、“らしく”させてるんだよね。
予測できないでしょ?僕のこと。
「絶対に次に言うことわかってるから!」、という奴とは、話したくないよね?
さっきも言ったけど、要するに、決まってないとか、いい加減っぷりが激しいんだよね、生きものは。
あなたが「自由に生きたい。」って、かっこよく言ってもいいし、
「いい加減に、優柔不断に生きたい。」って言ったっていい。
でも、カミサマの立場からすると、「ああ、生き物らしいなあ…。」って、なってると思うよ。
そうかあ…。
わたしは元々、「ヒトなんて、そんなたいしたことないハズよ。」、って思っていて、
それでも、「ヒトのすごさって何だろう?」って一応は考えてみたんです。
だけど、どんなに考えたって、やっぱりヒトだって、結局は化学反応の集まりにすぎなくて。
…ヒトのすごさが、わかんないですね。
ヒト…すごい?
何に比べて、やんね。結局。すごい、というのは、何に比べて?
いや、わたし、べつに、サルで生まれてきてもよかったのに…とか。
うん、よかったと思うよ。
…「ヒトのヒトたる所以を知りたい。」、と。
「でも、そう考えてるわたしも化学反応だし…。」、ってことですよね。
そうなんです。
だけどまあ…、「わたしはわたしだ。」と思ってること自体が化学反応で、
そこで、「わたしはわたしだ。」、と思っておくことについては、なんの悪いこともないからね。
それでいいんじゃない?それが化学反応であろうとなかろうと。
ソトに基準が求められない、というものがあったりする。
難しい問題ですが…。
そうですね。
うん。いつかわかるかもしれない。
はい。
【第4回に続きます。】
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