2010年8月18日水曜日

四方哲也教授へのインタビュー【第1回】


Life says, "Take It Easy!".



                
                ※この記事は4回シリーズです。

                     【第1回】 生命とは?
                     【第2回】 不思議なW杯
                     【第3回】 Be Indecisive!
                     【第4回】 生命は予測を超える








 
 わたしはもともと、生命が生きようとすることに、興味があったんです。

  
   生きようとする、っていうのは、たとえば…、
 『植物は、根をふかくひろく伸ばそうとする。』 、とか、
 『他の植物と重ならないように葉っぱを広げようとする。』 、というようなことです。



 だけど、生き“よう” 、自己を維持“しよう”、子孫をのこ“そう”、というのは
 ニンゲンの一方的な、擬人法的な解釈で・・・


 うんうん、「○○しよう。」、とか言ってるところがでしょ、カミサマが宿ってるみたいなね。

 
 そうです、そうです
 結局は、生きるということは、化学反応にすぎないんでしょうか?
 
 ソトから視たときの解釈としては、
 「生命は、『○○しよう。』と思っている。」と解釈したって、あやしいことはないし、
 いま、あなたが何か思っている、ということも、極端に言えば、
 「原子や分子に『○○しよう。』、と思わされている。」、みたいに考えたって、問題はなさそうだよね。


 だけど、原子や分子に、意志は・・・、

 
 ない。

 
 ない。って、答えますよね。


 でも…、

 
 机は生きていなくて、僕は生きている、というのはすぐ分かるよね。
 生きているものと生きていないものの違いは、目で見りゃすぐわかりますよね。
 
 たしかに僕らは、無生物と生物、は、なんかちがうよなあ、と思っていて…

 
 それでも、結局、生きる、イコール、化学反応、ですか?


 そうですね。化学反応が起こっている、イエス、そのとおり。

 
 だけど、「生命は、ただの化学反応の集まりですか?」と言われたら…、違う、って思ってますよね?

 
 うーん…。でも、究極的考えたらそうなんじゃないのかなー…?と。

 
 なるほど。難しい質問ですけれど…。


 雪の結晶…、冷たい部屋に水蒸気を置いておくとできてきますね、綺麗だなあ…と思う。
 だけどまあ、物質ですよね。
 
 ウイルス、いま口蹄疫はやってるけど…、は、増えていくし、進化していくし。
 けど、これ、結晶になったりするんですよ。
 ただの物質、つまり、まったく代謝してない状態で取り出せたりします。

 
 生きものって、うごいていて、ふえて、で、なんとなくソトから見たら、目的をもっているように見える。
 葉っぱの話だって、そういうこと言ってるでしょ?


 そうです、そうです。


 化学反応はなるべく、世界の、確率の高い方向にうごいている。

 Aが不安定でめずらしい状態、Bが安定であたりまえの状態なら、Bにいくよね。
 あたりまえのほうにいくんです。

 コップを落とすと割れる、という方向にはいくけど、元にもどる方向にはいかない。<図1>


 目的をなんだと思うか?ですよね。



 ふえる、のが目的だと思うと、生きものは目的をもっているように思えてくる。
 Bのところにいくのが目的だとすると、Bにいくのが、目的になりますよね。
 
 さて…「目的を勝手にきめているのは誰かしら?」みたいなことですよね。


 言いようってなもんだな。まあだから…、


 精子は、生きてると思う?


 生きてると思う。
 
 生きていると思う??


 そうなのかなあー??よく卵と精子の出会いとか言うけど…。


 いまそれ、言いようですよね。


 精子はね、エネルギーなくなっちゃうと、止まっちゃうんですよ。
 でね、精子は精子だけだと、ふえないんですよ。…どう?


 生きてない…。わたしは、ふえないと生きてないと思います。


 精子は増えないよね。
 じゃあ…、ES細胞は、どう思う?


 ふえるから…。


 ふえるよー、これ。

 じゃあ…生きてる?


 生きてる?
 …死んだ生きものの核から再生させたやつでも?
 
 …えっ。


 無生物から生物ができるの?


 ……。


 …ふえているのを目で見たら、生きていると思っちゃうよね。

 コンピューターのソフトが勝手に進化していくアーティフィシャル・セル、
 これはふえるし、進化するし、代謝もする。


 情報とかもダイナミカルで、
 お金の出し入れという意味で、代謝がおこなわれるよね。


 …どお?生きてる?

 ハスの種は、何千年もじっとしていることができる。生きてる?
 生きてる間、なんにもしないんだよ?


 …い、いき…。 無理です、もう分からないです…。 


 いや、ね。…っていうことなんですよね。


 何が言いたいかって、結局、何をもって生きてるとするか、物質と生きものの境目みたいな話、は、
 われわれが体験することによって学ぶようなことですよね。


 つまり、「生命とは○○です。」、というように、科学みたいに定義があるようなもんではなくて。
 定義は正直、まだちゃんとない。


 生命=ふえる、とか、「じゃあ、ふえない精子はどうするの?」とか、
 生命=代謝をする、なら、「じゃあ、しないのはどうするの?」って、なるでしょ。


 死んだひとからだって、細胞を取り出せるわけだし。


 生命が物質からできていること、化学反応にすぎないこと、に関しては、イエス。


 だけど、無生物と生物にちがいがあるのも、僕らは『知っている』。
 だけどそのちがいを何だと言え、と言われると…、言えなくて。


 体験して、脳のなかで、定義ができてくるんですよね。


 そう思って、僕らの研究室では、
 自分で油の膜をつくって、そのなかに遺伝子をいれて。
 遺伝子がタンパク質をつくって、そのタンパク質が元の遺伝子をふやして、
 倍、倍、倍…ってふえていく、っていうのを完全にいま、つくってるんです。


 「なんでやってるか?」というと、結局、体験する、ということ。
 科学として、「人工細胞をつくろう。」とか、「だれかの役に立ちましょう。」、とか、いろいろあるけれど、
 僕のホントの心根は、「じぶんの目の前で見てみたい。」、というもので。


 あなたに、「生命は物質の集合体ですかね?」ってきかれて、「イエス!そうです!」って答えるためには、
 自分で生物と物質の間を埋めれば、…納得しちゃうよね。


 で、納得しちゃう、ということの意味は、結局、自分で体験することだ、と僕は思っていて。
 もちろん科学だから、「みんなのためにやってます。」、って言わなきゃダメなんだけど…。


 究極的には、じぶんの目の前で見てみたい。
 それが、生命はなにか、の問題を解決する方法でもある。


 たとえばさ、「愛ってなんですか?」 って、答えられる?


 えっ?ええー…?


 あのひとすき!、とかさ。愛だの恋だの。


 愛…ええぇ…?…え?見返りをもとめないこと?


 見返りもとめるひといっぱいおるやん(笑)。


 そうですよね(笑)。ちょっ…と待った(笑)。


 大丈夫かそんなこと言って(笑)。


 (笑)。


 ダメダメ(笑)。いまのナシ(笑)なしなしなし(笑)。


 (笑)。

 
 (笑)。化学反応の一部だと思うけどね。


 愛が?


 うん。…じゃないの?


 …で、さ、愛とか恋はさ、体験したら、こういうもんだって、知ってるよな。
 知ってるけど、「じゃあ、どういうもんか言え。」、言うたら…言えるか?と。どう?


 言えない…です。


 つまり、つくるとか、体験することはできるけども、定義は言えないものはあるわけよ。世の中には。
 
 ああー!なるほど、そうか。


 1人称的に体験することでしか分かりえないこと。


 だって、納得いかないでしょ?生きる=化学反応だなんて。納得できない。
 納得するためには、究極的には、つくってわかる、というのが、ひとつの方法、かと。


【第2回へ続きます。】

四方哲也教授へのインタビュー【第2回】

 











 「生命=化学反応?」で、「イエス!」、なら、

 究極に効率のいい化学反応をもつ、ただ1種類の生命がこの地球上にいるっていう風に…、


 はいはい、なんでならないんですかね?と。


 …なんでならないんですかね?どうしてひとつに収束しないんですか?
 
 なんで“スーパーヒューマン”ができないのか?とか、
 なんにでも感染できる“スーパー口蹄疫”ができないの?とかね。


 人間にも鳥にも、なんにでも感染できるようになってもいいよね。
 
 そのほうが彼らはふえる…ふえるのが目的ならばさ。ふえることができる。


 いくつか答え方がありますが…。


 バクテリアを1つの環境で、培養します。突然変異をおこさせながら、どんどん培養します。


 すると、一番いいものがふえてきて、生き残っていきますよね。
 さっきの話ならば、最後に残ったのは、すっごい強いはずなんだよね。


 でも、起こったことは…


 ある生物がいて、そこに変異をおこさせて、何種類かが生き残って、
 また変異をおこさせて、また何種類か生き残って…っていう実験を
 何回もやっていきますよね。


 で、研究室でやったので、途中で滅んだのを持っているんですよ。


 途中で滅んだやつをとっておいて、それと最後のやつを混ぜるじゃない?
 昔のひとと今のひとを混ぜるみたいに。


 今のひとのほうが進化しているならば、
 今のひとが勝って、昔のひとは負けるはずだよな。
 
 でも、そうはならずに共存しちゃうんですよ。どんな割合で混ぜても。


 ある一定の、10%昔のひとがいつも残る、とういうようなことがおこる。<図2>


 さてさて…、「なんでですかね?」と。



 つまり、「1つの環境でどんどん進化しても、“スーパー○○”にならない。」と、
 実験結果は言っている。
 「なんでですか?」…というのは結局ですね…、




  いまこれ、ある特定の遺伝子に変異をかけながら競争させているんだけど、
 遺伝子から産物ができますよね、ある栄養をつくりだすんですけど。
 
 栄養をつくりだせるAは、早く、どんどんふえることができる。<図3>


 
 だけど、AもBも油の膜でできていて、栄養が漏れてきちゃうんだよね。

 するとさ、Bはそれ食べて生きていける…よね。<図4>


 ということは、1種類の生物だけが存在する状態には、ならないですよね。

 …するとさ、
 「栄養を漏らさない、完璧な膜ができればいいじゃない?」って思いますよね。


 でも、今のところ、材料が油の膜とか、やわらかいものなので、
 それはなかなか実現されていない、というのが答えの1つですね。


 …もう少しあとでぼくの考えを言いますけど。


 だけど、生物が完全に、機械のように、完璧にに利己的にできるか?っていうと…、
 
 つまり、
 『絶対に栄養をもらさない!』とか、『絶対に情報をもらさない!』、とか、できるかな?と。


 たとえば、いい例じゃないけど…、


 試験のときとか、「絶対ひとに答え教えへん!」って思ったって、
 隣がぎゅーぎゅーづめに座ってたりすると、情報もれたりするよな?


 そしたら、いっぱい生き残りでてくるよね(笑)。


 そうですね(笑)。


 でも、仮に1つの机に1人、とかなら、完全に利己的にできるよね。


 実際にこの件も、薄い条件のとき…、
 つまり、菌と菌が接触しない、とか、栄養を漏らしたのがわからないぐらい薄い条件にすると、
 1種類の菌が生き残っちゃうんですよ。


 世の中どうなってるかというと、
 もちろん、集団や生物の数がすっごい少ない初期のころは、生きるか死ぬかしかないから、
 あなたの言うように、早くふえるものが生き残ってくる。
 
 だけど、だんだん混んできたら、餌や情報なんかが、いろいろ漏れてくる。
 すると、それを食べることができたり、ということがおこるから、共存しちゃう、っていうのが考えのひとつです。


 もうひとつはね…


 遺伝子が決まっていて、環境が決まっていたら…、
 つまり、設計図と環境が決まっていたら、たとえば機械なら完璧同じものになるはずだよね。
 時計を同じ設計図でつくったら、ほとんど正確になるじゃん。


 なんだけど、細胞レベルでは、少なくとも。そうはならない。


 ある生物の、ある遺伝子の発現に関して、
 1匹1匹を調べてみると、発現のしかたは、ふらっふらしてるんですよ(笑)。


 みんな同じ遺伝子を持っていて、同じ環境にいるんだけど、ふらふらしている。
 
 完璧な機械じゃないんですよね。まず。生きものは、いい加減なんですよ。
 
 大腸菌なら4千個、人間なら2万個の遺伝子が、それぞれいい加減に動いているんです。


 …で、「ふらふらしてるのにも、意味はあるかいな?」と思って。


 同じ遺伝子をつかって、
 たまたまふらふらして、あるマイナーな発現のしかたをしたものだけが、
 よくふえられるような環境にしたわけ。


 すると、その生物は、マイナーな発現のしかたをするようになるんです。
 そうすれば、ばあっとふえられるよね、生き残れるよね。


 つまり、あたりまえだけど、
 普通は、『物がきたら見る。』、というように、センサーがあって、
 「センサーが感知したから、ああしてこうして、こう変えよう。」ってなってんだけど、
 そんなんしてたら、すべての化学物質にセンサーついとかなアカンよね。そんなの大変。


 生物はそんなんしてなくて、最初から適当に、ふらふら動いている。


 おなじ遺伝子で、おなじ環境だったら、遺伝子がどんどん変わって進化していくんだから、
 すごいその環境にむかってチューン(適応)しているなら、
 遺伝子の発現は、ビシッとして、何もふらふらしたりしないはずだよね。


 いちばんいい状態になってるはずだ、と。
 …なんだけど、まず、そうはなっていない。


 「なんでそうなっているか?」というと、


 たまたまふらふらして
 …というのは、遺伝子が変わってなくて、ただ制御が甘いだけなんだけど…、
 いい加減にふらふらしている、ということがアドバンテージになるから、だよね。


 人間が機械をチューニングするときは、ある環境にビシッと、効率よく動くようにつくるでしょ。
 それがアドバンテージだと思ってますよね?…でも、そうではなくて。


 「わけわかんない環境でも動くようにつくりなさい。」と言われたら、
 そもそも、完全にどっかにチューニングしちゃうと、マズイですよね。




【第3回へ続きます。】

四方哲也教授へのインタビュー【第3回】









 「どんどん良くなる、という線が進化ですか?」、って、「良くなる話がない。」って言ってるわけじゃなくて、

 それはそれであるんだけど。それだけかいな、と。


 …良くなるんなら、「人間は進化の最高峰かい?」となるわけだよね。


 もし、よくできてる、と言っても、「何と比べてよくできてるか?」だよね。比べる時に。


 そうですね。


 「わたしはすごいよくできてる!」、と思うじゃない、仮に。さて…何に比べて?


 ヒューマノイド?…違うよな。チンパンジー?
 「何と比べて『わたしはよくできている。』と言えばいい?」、ということは、わからないじゃない?
 このままでは。


 僕は生物が一般的にどれぐらいよくできているのか、疑問だったんです。


 それで、ずっと昔に実験で、
 設計図である遺伝子に、適当に変異を加えてみた。
 「ものすごくよくできているなら、全部の機能が落ちるはずだ。」、と。


 すごくチューニングしてあるなら、ちょびっといじったら全部こわれるよね。
 あんまたいしてよくできてなくて、どうでもいいところがたくさん残ってたら、あんまりこわれない。


 100個ぐらい突然変異体を調べると、
 5%ぐらいは、機能がいいものができちゃった。天然より。
 同じぐらいかちょっと悪いものが60%ぐらい。残りが、機能が下がった。


 ということは、まあ・・・、完全には最適化されてないよね、というのが1つの答え方。
 
 「どれぐらい最適化されてるんですか?」、と。


 「完全には最適化されていない。」


 …そして、進化を考えるとき、
 アノマロカリス、ティラノサウルス、ニンゲン…、
 これらは、なんとなくすごい機能を持っていて、その時々で世界を席捲していたように思うよね。

 これがよくできているか?と言うと、
 まあ、ある意味、大脳の構造とかがどんどん良くなっていってるように見えるから、そう見えるじゃない?


 でも、生きてる時間を考えると、大腸菌だってエチゼンクラゲだって、同じぐらいすごいよね。
 滅んでないわけだから。


 それでさ、さっきの実験の話から、
 ティラノサウルスとかは、“スーパー○○”にならないんだよね。
 で、よくよく考えると、アノマロカリスやティラノサウルスは、進化の歴史の中で、…滅んでるんだよね。

 そして、「さて人間は…?」、と思うけど。
 
 なにがちがうか?と考えると、


 さっきの、ふらふらしたから生き残った話に戻しますが…、


 
 こっちは最適化しようとしている。<図5>

 「進化っていうのは、標準的にどんどんよくなるんですかねー?」って言ってんのは、
 こっち(図5)の世界なんですけど。
 これは、ある特定の環境にむけて、ギューっとチューニングしていって、


 いいものをつくろうって感じだよね。
 だけど、氷河期がきたり、二酸化炭素が増えちゃったり、わけわかんないことが起こるわけじゃない?

 そうすると、ある特定の環境にむけてキチッとチューニングしてるから、
 ふらふらの部分がなくて、…滅ぶわな。

 こっちは、形も、遺伝子の発現もいい加減です。<図6>


                                      


 これらは、もともとチューニングしていないので、ふらふらしているわけですよ。

 少々環境が変わっても、自分たちがつくりだすふらふらの中で、たまたまうまくいくのを見つけやすい。


 「優柔不断がいい!」って言ってるわけじゃないけど…。


 進化には2つのモードがあって。


 1つは最適化です。そういう意味では、「ニンゲンはすごいなー。」と言える。
 チンパンジーにやっつけられたりしない、ヒトはね。ヒトは鉄砲もったりするから。
 いまの地球のこれぐらいの温度に最適化している、と言われると、
 ヒトはすごいな、と思うかもしれないけれど、


 長い長い時間を考えて、
 「(図5と図6の)どっちが最終的に、あと1万年とか、100万年とか生き残ってるか?」
 と聞かれると…どっちでしょうね?


 ポイントは、
 これからワケわかんないことがいっぱい起こるんです、温暖化とか。僕も予想もできないけど。
 それに対応するには、過度に機械みたいにチューニングするのがいいわけじゃなくて、
 ほどほどに、いい加減に。


 実際、彼ら大腸菌やエチゼンクラゲは、ほどほどにいい加減であり、
 過去に起こった氷河期とか、いろんなことのなかでも、
 形を変えずに、ずっとこの種のままで生き残ってきた。
 
 だけど、アノマロカリスやティラノサウルスの流れは、過去にいろいろ起こったとき、
 …ほぼほぼ滅んでいる。


 …なので、2つ軸があって。


 “スーパー○○”にならないのは、実際に細胞はいい加減だからですし、
 ニンゲンも、“スーパー○○”ではありません。


 「それはなぜ?」って、
 進化について、いま見ているのは持続性で、適応性じゃない。
 適応性だけなら“スーパー○○”になってもいいんだけど。


 忘れられていることは、
 いま生き残っている生物というのは、38億年前に生物がうまれてから1回も、
 親から子への遺伝子の受け渡しをしくじらなかったものたちだ、ということ。


 『スーパーふえる』、ということも大事だけど、『スーパーとぎれない』、が大事。もっと。


 大腸菌やエチゼンクラゲは、
 自分がふらふらすることによって、どんな環境がやってきても、『スーパーとぎれない』。


 「進化は最適化ですか?」 「それだけではありません。」、が答えかな。


 『スーパーとぎれない』。…持続性、とか、最近のはやり言葉ですけどね。


 僕らの研究室では、そういうことを実験でつくってるって感じなんですけど。
 一般的にも、『スーパーとぎれない』、が、大事。


 その優柔不断さ、というのは遺伝子に入ってるんですか?決まってるんですか?
 生きものは、生まれたときから優柔不断なんですか?


 もともと、ただのものをあつめただけだったら、スーパーできちっとしてないよね。それはいい?


 うんうん。

 顕微鏡をのぞいたら、小さい世界ってのはブラウン運動をしてたり、いい加減なんですよね、世の中はね。
 で、そこから生命はできた、と、僕らは思っているわけじゃないですか。


 クルマを完璧につくることは、できますよね、
 進化には、さっきも言ったように、
 チューニングする方向と、そうじゃなくて、ふらふらを維持していく方向の、2つがある。
 
 あなたも生物の一環なんだったら、必ず2つのものを持ってると思うんですよね。


 もともと世界はキッチリしていなくて、そこからつくられたので、
 いっぱいいっぱいキッチリとしようとしたって、なかなか…きびしいんじゃないの(笑)。


 きびしい、きびしい(笑)。そうですね。


 いやあ…「だからいい加減に授業してもいいんだ!」とは言わんけど、大学のセンセイとして(笑)。


 そーれーは…(笑)。


 (笑)。


 このままずっとヒトがチューニングしていったら、“ヒトの次”は、あるんですか?人で終わっちゃう?


 そうだね、ヒトで…。


 進化がさ、ヤバイのはさ、自分の競争相手をどんどんつくりだしてるところなんだよね。
 「競争してなんとかします!」、って言った途端に、
 「どんどん自分は滅びます!」、って宣言しちゃってるんだよな。そもそも。


 だから、あんまり最適化とか競争原理だけを言ってると、そうなっちゃう。
 「どこかで怠けて寝ときましょう…。」というのが…長続きの秘訣(笑)。



 ロボットの研究とか、さかんじゃないですか。いま。

 わたしは、「ヒトをヒトたらしめたのは何か?」、ということにもすごい興味があって。


 あの…、わたしのお父さんとお母さんの精子と卵が出会って、
 他でもない『このわたし』が生まれた、っていうのは、確率で言えばすごいかもしれないけれど、
 だけど、わたしのお父さんとお母さんはニンゲンだから、わたしは、生まれたらどうせニンゲンだった。
 生まれたのなら、わたしはニンゲンで、つまり、ヒトとしてわたしは生きていくわけで。
 おサルとか、鳥とかじゃなく。


 はいはい。


 「だったら、ヒトとして生きないと!」、と思ったんですよ。
 じゃあ、「ヒトっぽく生きるのは、どうしたらいいんだろう?」って、わかんなくて。


 ヒトっぽくね。


 でも、そうですね、ヒトも…、結局は、ヒトも、完璧じゃないですね。


 機械じゃないしね。ほどほどに、ゆるゆるに(笑)。


 …別の言い方をすると、「機械と、どこが違うんですか?」ってね。
 “スーパーヒューマン”のたとえというのは結局、機械をどこかに思い浮かべて、
 ものすごくチューニングされたものを思い浮かべていると思うんですよ。


 そうですね。


 だけど、素朴に言えば、ですよ、僕とパソコンとを比べると、
 『入力したら○○をする。』ということが、パソコンではすごく決まってるんですよ。


 だけど、僕が何を言うかは、わからないでしょ?


 つまりその、予測できなさ感が、生きものらしさを、人間らしさを、会話を、“らしく”させてるんだよね。


 予測できないでしょ?僕のこと。
 「絶対に次に言うことわかってるから!」、という奴とは、話したくないよね?


 さっきも言ったけど、要するに、決まってないとか、いい加減っぷりが激しいんだよね、生きものは。


 あなたが「自由に生きたい。」って、かっこよく言ってもいいし、
 「いい加減に、優柔不断に生きたい。」って言ったっていい。
 でも、カミサマの立場からすると、「ああ、生き物らしいなあ…。」って、なってると思うよ。


 そうかあ…。


 わたしは元々、「ヒトなんて、そんなたいしたことないハズよ。」、って思っていて、
 それでも、「ヒトのすごさって何だろう?」って一応は考えてみたんです。


 だけど、どんなに考えたって、やっぱりヒトだって、結局は化学反応の集まりにすぎなくて。
 …ヒトのすごさが、わかんないですね。


 ヒト…すごい?


 何に比べて、やんね。結局。すごい、というのは、何に比べて?


 いや、わたし、べつに、サルで生まれてきてもよかったのに…とか。


 うん、よかったと思うよ。


 …「ヒトのヒトたる所以を知りたい。」、と。
 「でも、そう考えてるわたしも化学反応だし…。」、ってことですよね。


 そうなんです。
 
 だけどまあ…、「わたしはわたしだ。」と思ってること自体が化学反応で、
 そこで、「わたしはわたしだ。」、と思っておくことについては、なんの悪いこともないからね。
 それでいいんじゃない?それが化学反応であろうとなかろうと。


 ソトに基準が求められない、というものがあったりする。


 難しい問題ですが…。


 そうですね。


 うん。いつかわかるかもしれない。


 はい。


【第4回に続きます。】

四方哲也教授へのインタビュー【第4回】













 
 研究と、研究者のことについて聞こうと思います。

 いまポスドクがたくさんあふれてる、って聞いて…


 うんうん、ウチにはいっぱいいますよ(笑)。


 ポスドクが多いことがすごい…「深刻な状況だ!」、みたいな感じで聞くんですね。
 それプラス、「研究者として生き残るのは大変だよ。」っていうのも、よく聞きます。


 わたしは、自分がいる学部が歯学部だから、
 もっとこう…、臨床や患者さんのために応用できる研究をしたほうが、
 生き残れるっちゃあ、生き残れるんだろうけど、
 最近の自分は、生命の起源だとか、進化に興味があるわけです。

 そうなると、研究者として『生き残る』とか、『役に立つ』とか、そういう以前に、
 ただそれについて知りたいのに…


 そうですね。


 「やめられないねんけど…。」、みたいな。


 そうですね。やめる必要もないし…。

 「でも大丈夫なのかな?」、みたいな。


 いやいや、大丈夫か…と言われると…。
 
 …えーとさあ、いや、人生、先のことはよく分からんですよ、もちろん。


 だけど、普通に考えて、あなたたちは大阪大学の学生なわけで、…僕もそうだったんですけど。
 要は、「食うだけでいいです!」、って言っちゃえばさ(笑)、

 …社会の中の、そこそこ学歴もあって、能力もあるひと、
 そこのひとたちが本当に食えなくなってしまう状況だったら、ヤバイですよね。
 社会的暴動が起こるような状況ですよね、それは。


 「お金持ちになりたい!」とか言われたら知らんよ?
 だけど、冷静に見れば、ですよ、ま、「食うだけでいいです!」って言えばさ、
 なんとかなりますねー、と。ポスドクだろうかなんだろうが。


 そうなのか!じゃあよかった。


 うん。僕ももちろん、同じ道を歩んでいて…、僕らの頃はもうちょっと厳しかったんです。
 僕はサラリーマンの子だったし。
 ドクターに行くこと自体大変で、お給料をもらえる所を探さなきゃなんなかった。
 
 でもまあ…なんか、
 「べつに、あさってから、そこら辺の工事現場で、力仕事でもいっか。」、って思ってましたね。


 そう思った途端に、進化の研究は、やれたね。


 ああ…、そうですか。


 うん。だって、いまだってさ、生命をつくるとかさ、危ういじゃん。
 「え?大丈夫?その研究?」ってなるよね。


 僕が進化の研究を始めた頃なんて、もっとそうだよね。
 いまだって学生のひとたちは、「それは研究か?」って思ってるけど。


 僕がホントに…、20代の頃に始めた時というのは、
 進化の研究なんて、引退した後に書物を読む、というようなもので、
 実験でやるようなもんじゃなかったから。
 『進化論』ではあったけど、『進化学』ではなかった。


 だからまあ、なんか、全然…、
 「すごい最適化された人生を歩みたい!」と思ってるわけじゃなくて、
 「まあ、なるようになるわね。」、と、「あまり考えても…。」なんて思ってるぐらいなら、
 なんとかなりますね(笑)。


 そうなのかあ!じゃあ…、いけるかもしれない(笑)。


 うん(笑)。
 だってさあ、いままでよ?深く考えて、「こうしよう!」と思ったって、思った通りにならないでしょ?


 ならない、ならない。ホントならないです(笑)。


 (笑)。


 でしょ(笑)?ならへんねんから(笑)、先のこと心配しても、しょうがないわけですよ。
 むしろ、「状況がきたらふらふらっとしよう。」っていう路線が…

 …自画自賛研究(笑)。どうなのかな、よくわかんないけど(笑)。


 わたし、今回インタビュー相手を探すとき
 理学部の教授さんとかに、「ここの研究室どうですか?」って聞いたりしたんですけど、
 「えっ、そこ何してる研究室なの?」とかよく言われたんですよ。
 研究者どうしって交流ないの?と思ったんですけど。


 そうだねー、まあ、だいたいさ、正直、自分がおもしろいと思うことやってるわけよ(笑)。


 「やってることが面白かったら、いいんじゃないの?ほかの人の話とか?」、みたいな。
 大きい声では言えないけど。


 ああ、じゃあ、交流とか別に…みたいな感じですか?


 大まかに言えばそうですよ(笑)。もちろん知り合いはいるけれどね。


 そうなのかあ。そういうものなのか。


 「自分の研究が面白かったら、それでいいんんだもん。」っていうひとが
 研究者になってるんじゃないのー?

 …あんまり大きい声で言うと怒られそう(笑)。
 いや別に、怒られたって、どうってことないけど(笑)。


 (笑)。


 最後の質問です。
 先生が、生命だなーと感じるときは、どんなときですか?


 生命だなーと僕が感じるとき?


 それは、


 僕の目の前で、僕の思いを超えて、予測を超えて、進化しだしたとき。


 ああ…。 


 どういう方向にでもいいんですけど。


 ぼくがずっと進化の研究をやっていて、「たのしいな。」、と思うのはだいたいいつも、
 じぶんの予測を超えるときなんですよ。


 うんうん。


 まあ、ある意味、失敗なんだけどね…。当たらないんだよね(笑)。実験科学なので。


 でも、その時こそ、いきいきしたものを感じる、かなあ。

 おおー。


 だいたい、ほぼほぼ、『ええー!?』ってなるんよね、実験科学なので。


 でも、その時ほど、


 生きものの研究、
 …まあ、生きものと生きものじゃないものの間の研究をぼくはやってるんだけど…、
 をやっていてよかったなーって思う。


 …ちなみに生きものの研究もやってるんですけどね。


 生きものの研究ですか?


 大腸菌の長い進化の研究とか、
 大きい生物の中に、ほかの生物をいれて飼ってみる、とか。


 飼えるものですか?


 うん。飼えるよ。細胞の中に、いろんな、ちっちゃい器官があるじゃないですか。
 それって昔、大きい細胞が小さい細胞を食べてふえてきたんじゃないか?とか言われてるんですよ。


 それでも、言われてるだけじゃ納得できんしねー(笑)。


 やってみた的な(笑)。


 うん。やってみようかって(笑)。


 「そんなの、できるんかー?」、ってみんな言うやん。
 それをやってでも…なんとかなるからね。
 研究室のひとたちはみんな、「大丈夫なんか…?」って思ってるだろうけど、ははは(笑)。


 他の先生の研究とか、「どんだけマジメやねん!」といつも思うし。


 え、思われます?


 だって、キチッとしてるでしょ?カタいでしょ。


 ここみたいな研究室ってレアなんですか?


 レア…だと思いますよ。他の研究室に行ったらわかると思いますわ。
 「ええー?」みたいなことになってると思うよ(笑)。


 なんかね、子どもが思いつくようなことやってると言っちゃえば、そうやんな。
 「いきものつくりたい!」、とか、「どういうふうに進化するんやろう?」、とかね。


 …「もっとかっこよく言えよ!」、とか、「役立つこと言えよ!」って(笑)。


 (笑)。
 (笑)。


 いやいや、「言え!」、言われたら言えるよ?でも…、心根はそうなってないし(笑)?


 …大丈夫かな。上手に編集しといてください(笑)。


 がんばります(笑)。ありがとうございました。




 ▼インタビュー後、研究室をウロチョロさせてくれた時に、付き添いカメラ係のハタエリ氏が撮った写真たち。

←実験する部屋みたいな所。
  見たこともないようなものが色々あります。








←どこかの部屋のドアを開けたら人がいました。
  お名前を忘れてしまいました。










←その部屋にあったパソコン。何か映ってます。
   これが何かパッと見で分かる日が来るのかなー。








←機械①








←機械②
  機械のある部屋は寒かったです。
  機械はワガママなんだって。
  たいへんねー。








 ←インタビューした場所。綺麗すぎて焦りました。
  ここの研究室って、キレイ好きの人が集まる場なのかな。
  
  歯学部のクラス担任の研究室はめっちゃ汚いというのに。
    
  自分の部屋の、異常とも言えるカオスっぷりを考えると、
  将来、少なくともココの研究科には来れそうにない気がします。

   どうしよおおおー。




    
←事務(秘書?)さんたち。
  優しかったです。コーヒーをご馳走になりました。

2010年8月17日火曜日

永田靖 (ながた やすし) 先生へのインタビュー -1-


みなさんは、大阪大学文学部に“演劇学”という専攻があるのを知っていますか?

演劇を研究するって楽しそう、けれどどんな研究をしているのだろう。

今回は日本では珍しい、“演劇学”を研究なさっている、大阪大学文学部教授 永田靖先生にインタビューしてきました。





-本日はよろしくお願いします。さっそくですが、まず、演劇学とはどのようなものか、教えていただけますか?


一言で言えば、演劇を芸術として研究する学問ですね。文学とか音楽とか絵画とか、様々な「芸術」がありますね、演劇学もそういった芸術としての演劇を研究する学問の中のひとつです。いろんな演劇があり、ミュージカル、ドラマや映画も演劇のひとつです。歌舞伎、浄瑠璃、能なども演劇のジャンルに入りますね。演劇の始まりは紀元前5世紀と考えられていますから、およそ2500年間も続く、世界中の、さまざまなジャンルの演劇を研究する学問です。



-「演劇学」は日本ではめずらしい学問だと思うのですが、先生が演劇学をはじめられたきっかけはなんですか?


僕は、学生時代に演劇を始めて、それで演劇が非常に好きになったんです。だから演出家になりたかったんですけど、演出家や役者として

の才能がなくて。そのまま自然とこうなった感じですかね。だからいつも、えらそうなことは言えないなって思ってます。



-では、演劇を実際に「やる」のではなく「研究」することの魅力は何ですか?


演劇の研究にはいろいろあるんです。いろいろな切り口やいろいろな水準がね。ひとつはいわゆる「ドラマ」の研究。つまり物語の研究がまずありますね。それから、「パフォーマンス」の研究。演劇は、劇場に行って観客席に座って劇を見る。そういう特定の場所で上演されるものを見る体験ですね。そこでしか見ることのできない体験を研究します。

ドラマの研究の場合は台本を持って帰ることができるよね。実際に行って、見て、面白いと思ったら、後で台本を手に入れて、もう一回読み直すんです。それで自分の頭の中にドラマを再構築して、それがどんなドラマかってことを研究する。それから、目の前で生身の人間が喧嘩をしたり、恋をしたりする「振り」をするパフォーマンスを研究するという、この2つの研究があるんですね。いずれにせよ、演劇を研究する魅力は、やっぱり、どちらのアプローチでも最終的には生身の人間の演技に結びつけていく喜びですかね。やるほうはそれはもちろん面白いんです。やるとねー、上演が終わった後しばらくはリハビリがきかないっていうか、その感覚は好きですね。

演劇やったことはありますか。なんというか、違う時間を経験する喜びというのが確かにあるんです。何人もの、場合によっては5人とか10人とかが1ヶ月以上同じ場所に集まってずーっと同じ場面ばっかり繰り返す。演出がいて、場合によってはだめだしする。数分の場面に何度も練習する。そういうことは日常では体験できないことで、長い時間かけで練習して、本番は一瞬で終わる。だからその後、熱が冷めるのに1週間とか1ヶ月とかかかる。そういった長い時間をかけて作って行って、また終わっていくのが演劇で、そのプロセスの研究もあります。その長いリハーサル期間に、作品がどう変化していくか。変化させるのは演出家なのか、舞台装置家なのか、俳優なのか。そこにはどんな意味があったのかとか。彼らが劇をつくっていたリハーサルの1ヶ月の間に何が起きたかを調べるんです。ここにも2つ方向があって、観客席から考える方法と舞台裏の作り手の方から考えるやり方と、どちらも研究として成立するんですね。これも演劇を研究することの魅力ですね。



-そのリハーサルの記録は残っているんですか?


だいたい演出家は演出ノートを作っているんです。演出家は大変な仕事で、俳優やスタッフ全員を納得させなければならないので、相応の準備が必要なんです。ちゃんと俳優たちが納得しないと、生身の演技にならない。だから、せりふの全てに、演出家はちゃんと説明をつけていくんです。おもいつきじゃだめなので。ノートにしたり絵コンテとかあの手この手をつかいながら俳優たちに自分の意見を伝える。だから決まったものではないんだけど、ノートとか、何かしら記録は残ってるんです。



-2- へ続く ...