2010年8月17日火曜日

永田靖 (ながた やすし) 先生へのインタビュー -2-


-先生の演劇学のHPを見させていただいて、「再現できないものの研究」という言葉が印象に残りました。その、再現できないものの研究の苦労はありますか?


ある部分は歴史の研究と一緒なんです。君たちも高校時代に、日本史とか世界史とか勉強したと思いますが、どの時代でもその政治の形態とか経済のあり方とかなんとなくわかるでしょ。彼らがどうやって生活してたのとか、なんとなく理解できていますね。それはその時代の資料とか読んで、再構築していくわけだよね、基本的にはそれと一緒で。終わってしまった上演の記録や当時の批評を読んで、大体どんなものだったかを再構築するんです。研究を進めていくと、ある部分では実際に見た人より深くは理解できるようにすらなります。たとえば鎌倉時代の庶民が鎌倉時代の幕府の政治について理解していた以上に、もしかしたら君たちのほうが知ってるかもしれないですね。そういうことがある。だから終わってしまった作品でも十分研究の対象になるわけです。もちろん100パーセントは再現できないの。だからもどかしいですけど。けどそこがいいんです。決して元通りにならないことが最初からわかっていることが面白いんです。



-またHPの、「アカデミックキャバレー」という言葉が目にとまって。アカデミックキャバレーとはどんな活動ですか?


最近カフェって流行ってるでしょ。だからこちらは対抗してキャバレーにしようってことになって。カフェっていうノリじゃなくて、もうちょ

っと僕らは芸術的にやろうって言って。キャバレーといっても風俗営業ではなく、キャバレットっていうヨーロッパの演劇のジャンルの名前なんです。ヨーロッパで19世紀末から20世紀の間にいろんな演劇のジャンルがはやるんですけど、そのうちのひとつにキャバレー演劇っていうのがあって。お客さんがお茶飲んだりしながら、小劇とか歌とかダンスとか漫才とかの演目で。授業で劇をひとつ翻訳したんですが、次には実際にそれを上演してみようってことになって、教室内で上演したのです。



-演劇学の生徒さんって、やっぱり自分で演劇をされる方が多いんですか?


劇団に入っている学生は少なくないんじゃないでしょうか。阪大の劇団とか地元のサークルとかあちこち適当に。でも多くは純粋に観客として、演劇研究しています。



-学生劇団や地元の劇団という話が出てきましたが、実際、小劇団の役者さんで、それだけで食べていける人はとても少ないという話をよ

く聞きます。そのことについて、先生はどのようにお考えですか?


学生劇団ってね、まあ僕もそうでしたけど、自分で好きにやってるのね。だからおもしろいという面はあるんですけど、4年間だけで満足できない人は、仕事しながら、時間を作ってやったりしてる人もありますね。それで食べていけるかっていわれると、やっぱりそれだけでは厳しいですね。ですから多くは仕事をしながらいわゆるアマチュア演劇として続ける人たちは少なくないですね。

維新派って知っていますか。去年は阪大の博物館で展覧会したんだけど。維新派っていう世界的に有名な劇団が大阪にあるんです。前衛的なね。彼らは自分たちで野外に劇場を作るの。たとえば大阪だったら、南港の広場とかに住み込みで2.3ヶ月寝泊りしながら劇場を作って上演するんです。それが終わるとまた仕事やバイト。

日本は演劇を保護する制度が弱いんです。ヨーロッパに比べて演劇を保護する度合いが高くないんです。

日本は明治になって演劇を国家的には取り入れなかったんだよね、日本には歌舞伎があったから、歌舞伎を改良しようとしたのですが、西欧型の演劇は制度的に確立しようとしなかったんです。もっとも歌舞伎も国家が支援したのではなく、松竹という一興行会社が運営していくことになったわけですが。だから小中や高校で授業に美術と音楽はあるのに演劇はないでしょ。



-最後に、演劇学という専門科目を持つ国立大学が考えていくべきことはなんだとお考えですか?


演劇研究の最先端に追いついて行って、日本発信の演劇研究を示していることだと思いますね。最先端の演劇研究と言っても様々ですが、日本の伝統演劇に対する関心は世界の演劇研究においては高いものがあります。日本の伝統演劇研究はいかんせん世界の演劇研究にはあまり関心を示していないのが現状です。私は伝統演劇の研究者ではないですが、そんな世界と日本の落差の大きさについては常々残念に思っています。国立大学と私立大学との区別はあまり感じませんが、演劇学専修がある大学はそう多い訳ではないし、日本と世界の演劇研究の接点になればいいですね。

最初には、演劇学とは何かって聞かれて、芸術として研究することだ言いましたが、それ以外に広がりのある部分を研究するのも現代の課題です。社会学の役割理論は有名ですが、演劇は見る人と演じる人の役割についての了解があって成立します。日常生活でも、政治活動でも、スポーツでも、演劇的な要素は多分に含んでいます。演劇ではなくても演劇的な行為は日常生活にたくさん散らばっていて、そういう演劇的な、つまり芸術ではない行為も射程に入れて演劇というものを再定義するということも焦眉の課題になっています。そんな最新の課題についても研究できて、世界の関心を集めるようになったらいいですね。



ありがとうございました。





今回インタビューさせていただいて、“演劇”というものがとても幅広く、また身近であることがわかりました。

普段何気なく見ているテレビドラマも演劇のひとつであるということには驚きました。

舞台が出来上がる過程の研究や、演出の意図など、文学研究等には無い面白さが演劇の研究にはあるんですね。


インタビューが初めてでとても緊張しましたが、演劇について熱く語ってくださった先生の姿が印象的でした。

今回はお忙しい中、インタビューにご協力いただき、本当にありがとうございました。


 

 大阪大学経済学部 1回生  中村 充宏


2010年8月5日木曜日

小林傳司(こばやし ただし)先生のインタビュー その1

小林傳司 教授へのインタビュー

~出会うことで生まれるものがある~

日時: 6月23日 

インタビュアー: 環境・エネルギー工学科一回  落合 智弘

1.知デリ

―ぼくが先生にインタビューをしたいと思いましたわけは、先生が中心となって企画なさっている「知デリ」というものに興味をもったからなのですが、その「知デリ」とはどのような主旨のものなのか、お聞かせください。

知デリっていう企画は、アップルストアでやっているものです。
アップルストアは、大阪では心斎橋にあって、そこの一階は商品が置いてあり、二階は修理とかを受け付けるところでステージもあって、そこでは新製品の発表、セミナーなんかをやっています。
知デリでは、そのステージでトークショーなんかを企画してやっています。
東京では銀座にあって、そこでは一フロアーが全部、座席とステージになっている。
そこでもやっている。どちらでも、理工系の人間とアーティストのような組み合わせでトークショーを開いています。
最初は、どういう組み合わせなら面白いかということを考えるのだけれども、まず考えたのが、「アートって何のため?」ということでした。
アーティストっていう人たちはいろいろやっているけど、その活動のおかげで日本のGDPが大幅に増えるわけでもないですよね。
例えば、工学部っていうのはどこかで社会とつながっていて、日本は明治以来工学にかなりの投資をしてきたし、やはり役に立ちます。
しかし、アーティストっていうのは、何のためって聞かれると、いつも困るわけです。
それで、そのアーティストとよく似た構造のものが大学にはもうひとつあって、それは理学ですよ。
ところで、君は何学部ですか?

―工学部です。

理学部って受けようとは思わなかった?

―数学とかは好きなんですけど、やっぱり工学の方が社会と繋がっているイメージがあったもので。

だよね。やっぱりそういうイメージがあるんだよね?
理学部では例えば、素粒子論の研究とかあるけど、あれによって産業界に何かインパクトのあるビジネスモデルができるかというと、それは思いつかないでしょう?
そういうように、理学っていうのは、役に立つのかって基準で考えると、役に立たないですよ。
それで、理学部の人は悩むわけです。
そのへんはアーティストに似ているでしょう。
理学もアートも多分好きでやっているのでしょうが、役に立つとはなかなか言えないわけです。
しかし、なぜか人類社会は昔から、芸術やサイエンスというものを大切にしてきたわけだよね?
これはなぜだろう?ということで、同じ悩み方をしているアーティストと理学系のサイエンスの人を組み合わせて議論をさせてみたら面白いのではないかということでやってみました。
そうしたら、それがおもしろいと思ったのか、学生のチームがそれに乗ってきて、最近は東京の方は大人のグループが、大阪の方は学生のグループが企画しています。

小林傳司(こばやし ただし)先生のインタビュー その2

2.科学論

―現在、先生はどのような研究をなさっているのですか?

科学とは何か? 技術とは何か? それらは社会にとって何の意味があるのか? ということを考えること。

―研究はどのような方法で行っているのですか?

本を読んで考えて、本を読んで考えて、本を読んで考えて、論文を書く、または本を書く、という哲学の研究の基本形で研究をしています。

―先生がやられている科学哲学というのはどのような学問なのですか?

科学哲学というのは、もう少し科学に対して近づいている学問です。
科学の行っている証明はどのようなものなのかとか、科学的真理とは、何がわかった時にそれを科学的真理と呼ぶのかとか、科学的方法というものはあるのだろうかとか、もっと根本的に言うと、科学とは一体何なのだろうか、といったことを考える。
例えば、数学は科学なのだろうか?

―科学だとおもいます。確実性が高いという意味で。

どうして?
確かに、科学には数学が使われてはいます。
では、数学はどういった意味で科学といえる?
数学では、実験的なデータは取れないでしょう?自然を相手にしてないでしょう?
では逆に、科学とは何だと君は解釈していますか?具体的には、どういう考え方をした時が科学的だといえる?

―最も正しいと思われる考え方をした時ですかね?

正しいと思われることは世の中にたくさんある。
さっき数学は確実だと言ったけど科学って確実か?
よく科学的事実が訂正されることもあるでしょう?
科学には分からないことが山ほどあるでしょう?
だから、研究しているわけでしょう?

―では先生は科学とは、いったい何だと思いますか?

僕は、科学というものは定義できないとおもっている。
まあ、強いて包括的に言うならば、「現象を物質の振る舞いとしてのみ記述したがる営み」かな。
科学は、精神とか、魂とかを信じて物事を説明したがらないですよね。
高校までの教育では科学が本当はどのようなものか考えさせないようにできている。
たとえば、理科の試験は100点が取れるようにつくってある。
そういうようにして、科学を数学と同じようなものとして扱っているわけです。
国語や社会では見る視点によって意見が食い違うことはあるけれども、理科の場合は「これが私の意見です」ということを言ったならば、「それは間違ってる」で終わりです。そこで、理科の問題について議論しましょうということにはならない。
科学というものは、科学者がダイナミックにいろいろと研究していって、かつての意見に修正に修正を重ねていくプロセスだということを忘れさせるような教え方がなされているわけです。
水槽に土と水とを入れて混ぜると、濁りますよね。だけど、徐々に下の方は土が溜まってきて、しまいには岩盤のようになってくる。
それで、この岩盤のようになった知識は滅多なことでは訂正されないとして、この部分だけを学校で教えているんですよ。このような教え方をしていると、教えられた側は科学というものが常に、正解を出してくれる体系だと思い込んでしまうわけです。
し かし、実際に研究している人たちは、そのように岩盤のようなところは分かりきっているから研究していない。最先端の研究というものは水槽でいう、濁ったよ うなところで行われている。そうするとそこでは、いろいろな研究者がいろいろな見解を出し合って実験をし、そしてその解釈を巡って論争をし、それから徐々 にそれが安定してくると岩盤のようになってくる。
だから、岩盤に持ち込めるような研究をした先生は、偉い先生、立派な研究者ということになる。
多くの研究者は濁り水のところで、岩盤候補もいるのだけれども、違うと言われてひっくり返ったりということを繰り返すわけですよ。
そして、それが研究であり、それによって科学は進歩する。
そういったダイナミックなプロセスを無視した教えられ方をすると、科学が万能だとか、岩盤だけが科学だと思い込んでしまうわけです。
そうではなくて、ダイナミックなプロセス全体が科学であるというような感覚をもっていただけるといいと思います。
そういった点でいくと、数学というものは少し違うなあ、ということになってきますよね。

―下から積み上げていくところが、ということですか?

そういったことも言えると思いますけど、まあ、自然を観察したり、実験をしたりすることによって前進はしないですよね。
今はコンピューターを使うことはあっても、数学は主に紙と鉛筆と頭の中の世界でしょう?
未解決問題とかね。難しい問題を解いた数学者が、凄いといわれますよね。だけど、そういった人たちは何も壮大な実験をしたというわけではありませんよね。こういったことから、数学は科学とは全然違うものだと思えるわけです。
文字の代わりに数式を使っている、という意味でとらえると、数学はどちらかといえば哲学や論理学に近いという言い方もできるでしょう。

―科学にはよく数学の手法が使われているわけですよね?

まあ、たしかに科学は、数学にとって最大のクライアントと言えるでしょうね。
昔ガリレオ・ガリレイがそのように言ったぐらいですからね。

小林傳司(こばやし ただし)先生のインタビュー その3

3.科学と一神教


話は変わりますが、科学というものが何処で生まれたかと言うと、これはヨーロッパです。今我々が科学とみなしているものは、16~17世紀のヨーロッパ人が考え出したものの見方によって生じたと言えます。
でも、人類誕生以来、世界中の人々がこの自然を眺めてきているわけです。どうしてヨーロッパだけで生まれたのかと言うと、いろいろ不思議でしょう?
しかも、16世紀という時代で世界を輪切りにした時に、ヨーロッパは物の豊かさという面では、東洋と比べると圧倒的に劣っていたわけです。西洋人がアジアに香辛料を求めてやってきたことからもわかるようにね。
しかし、その当時のヨーロッパの特徴としてもう一つあげられるのは、キリスト教文化圏であったことです。
高校の時にもう習ったかもしれないけれど、ニュートン力学に言わせると、身の回りのものが地球に向かって落ちていくことと、地球が太陽のまわりを回ることは同じ落下なわけです。同じ理屈組織で説明できるのだということをニュートンは示したのですよね。
でも、見えているものは多様じゃないですか。例えば、紙にしても木の葉にしても落下するときは、ニュートン力学で解けるようなストーンっていう落ち方はしないですよね。そういうことの方がむしろ多いじゃないか、と普通は思えるわけです。
にもかかわらず、こういった多様な落下の裏側に統一されたフォーマットを発見する前に、どうしてそのフォーマットの存在を彼らは信じることができたのか。
いくら見ても、そのような発想は生まれてこないでしょう。だから、他の多くの地域の人たちは、自然界は多様であるというような見方をしていたわけです。
ところが、キリスト教文化圏ではその自然の裏に何か統一されたフォーマットがあると信じていた。
宇宙の起源という問題は、昔から人々の関心のひとつになっていたわけだけれども、キリスト教というのは神様が一人だけっていう一神教だから、日本を含めた他の多くの地域の逸話に見受けられるような、神々の性行為によって世界が生まれたという考えがなかった。
「神が光あれといって光が生まれた」というように、宇宙は神様のひとつの作品だという発想だったわけです。
そこで、ガリレオは「神様は二冊の本を書いた。」と言っている。
「一冊は聖書、そしてもう一冊はこの自然だ。しかも、この自然は数学の言葉で書かれている。その自然を解読することが神の偉大さをほめたたえることになるのだ。」ともね。
そういう感覚を持っていたのが16世紀のヨーロッパとも言えます。
それで、そのような特異な文化から生まれてきたのが科学というわけです。


―科学は一神教から生まれたということですか?


そういう風にさえ言えるのではないかとね。
当 時としては、技術的なものでいえば、中国といった地域の方が断然進んでいた。紙も羅針盤も中国が起源だしね。言ってみれば、技術というものは豊かさとそれ なりに結びついているわけですよね。一方で、ニュートン力学というのはそうではない。ビジネスモデルとは全然関係ないよね。だけど、そういうことを考えて いた人たちがいたわけです。
だから、そういう点では科学というものは、もともと役に立つ、立たないとは関係なしにキ リスト教的な世界観とセットで生まれてきたもので、そこからキリスト教的な要素を脱臭していって、さらには数学を使ったきれいな論理体系に仕上げていくこ とによって、キリスト教を信じなくても理解できるようなシステムとして成立する。
それから世界じゅうに広まっていった、というような歴史を科学は辿ってきたわけです。


―科学は宗教から独立してきたということは、科学も一つの宗教と言えますか?


科学を宗教と言うと少し危険だけれども、昔は人々の自然現象に関する疑問に対して、科学の代わりに宗教が答えを出していたということは言えますね。

小林傳司(こばやし ただし)先生のインタビュー その4

4.日本

―科学と宗教が深く結びついていたとすれば、日本の科学観は西洋のそれと異なっていることになりますか。

当然違ってくるでしょうね。
日本と海外とでは、宗教の見方から異なっているからね。
「宗教」というものと「religion」というものは、多少違うわけです。
例えば、「あなたの宗教は何ですか」ときかれたとき、日本人のなかにはよく「私は無宗教です」と答える人がいるけれども、海外でそのような答え方はけっこう危険なんですよ。
というのも、海外の人にとって宗教というものは、その人の「倫理観の根底をなすもの」というようにとらえられている。
だから、無宗教と答えてしまうと、「この人には倫理観の根底が存在しないのか」なんていう風に思われてしまうわけです。
日本には神学部というものは、あまりありませんが、宗教が盛んだった頃、ヨーロッパの大学には必ず神学部と医学部、法学部がそろっていました。
というのも、神学はキリスト教文化圏には絶対に欠かせないものでしたし、医学は人の病気を治すのに、法学は社会の秩序を保つのに必要だったからです。
日本の大学の場合は違っていて、神学部の代わりに工学部が重要な位置を占めている。
というのも、これは明治維新以来、日本は西洋に追い付け追い越せという目標を掲げていたからで、そのためにはやはり役に立つ工学ということだったわけです。
今見渡してみても、日本の国公立大学で工学部のないところはないでしょう?
日本は今までは、工学に力を入れ、西洋追従型の方法である程度はうまくやっていたわけだけれども、現在日本は世界を動かして、またはリードしていく側にあります。
日本これからどうやっていく?ということになると、
そこで重要なのはやはり、新しいコンセプトやアイディアですよ。
だから、これからみなさんにしてほしいことは、総合大学の強みをいかして、他の学部の人とぶつかってみることだね。
それによってしか、新しい発想は生まれてこないわけですよ。

―「知デリ」がそういうことになるんですかね。

まさに「知デリ」なんかがそういうことだね。
「知デリ」にも、いつでもいいんで顔を出してみてくださいね。


 
―ぜひ行ってみたいと思います。今日先生からお聞きしたことを今後の学生生活に大いに活かしていきたいと思います。今日はありがとうございました。



感想

このインタビューを終えて、自分の中で何が変わったかと言うと、それは一言でいうとすれば、
今までの「科学観」や「宗教観」がくつがえったことだろう。
自分は18年間、これまで日本という国でしか生きていない。
そこでいつの間にか出来上がってしまっていた固定観念に気付かされた。
インタビューを通して学んだことは、「出会い」の大切さだ。
海外にいって、日本にはない自然にふれてみたり、さまざまな人に出会ったり、
日本でも、いろいろな考えをもつたくさんの人や本に出会ってみたいと強く思うようになってきた。
「出会う」ことによって自分の中の何かが押し広げられるような、それが「学ぶ」ということの喜びに似ているような気さえした。

許先生のインタビュー壱

  中国経済が世界に与える影響

~世界経済が金融危機に見舞われる中で中国経済だけが先陣を切って景気回復に向かっている。中国経済はこのまま成長を続け、世界経済回復のエンジンとなるだろうか。

 

  インタビュー相手

許衛東准教授 (経済学研究科 経済学系専攻)

・プロフィール ・・・学歴 東京大学理学研究科地理学専攻 博士単位取得満期退学

           研究内容 中国経済

  研究キーワード・・・経済地理学 アジア経済 中国経済

 

  質問項目

A.〓先ずは許先生について聞く〓

 1.日本の大学で学ぼうと思った理由

 2.許先生が研究なさっている経済地理学とは

 

B.〓中国経済の事情とそれが世界に与える影響ついて聞く〓

 1.中国経済が経済成長を遂げた理由とは 

 2.中国経済の成長はこのまま持続するのか 

 3.中国の経済躍進は世界にどのような影響を及ぼすのか、また、世界経済回復のエンジンとなるのか

 

C.〓その他気になっていたことについて聞く〓

 1.中国国内の経済格差が縮まらない理由とは

 

初めてのインタビューであったし、初対面の方と一時間以上の対談するっていうのも初めてっ。なるべく失礼のないようにっ!と思えば思うほどますます緊張していったので、先生の部屋のドアを開ける前はかなりドキドキ・・・。でもせっかくの貴重な体験なのだから楽しんでやろうと思ってドアを開けた!

 

 

 

それでは、さっそく許先生にインタビューしてみよう!

 

(以下は、許先生のインタビューを、自分なりに解釈しまとめたものである。)

 

 

  A.1.日本の大学で学ぼうと思った理由

 

    まずは、中国の大学に入った(1980年)が、ここで、国が計画経済を変えようと、そのための若手の人材育成のために、在学の大学生を募集し、各先進国の大学に留学させて、先進国の高い技術を吸収しようという試みが行われた。そこで、許先生はたまたま日本の大学を選んだ。

   学部は筑波大学で勉強し、その後Master課程は、東京学芸大学にて農業地理学の分野の熱帯農業を研究。博士課程は、東京大学で農業だけでなく産業全般など視野を広げて研究した。

 

  A.2.許先生が研究なさっている経済地理学とは

「地理学」は、土地・地表に関する学問。その前に「経済」が付いたのが経済地理学である。「なぜA工業港湾地区にあるのか」「なぜB農業が内陸の高原地帯で行われているのか」など、経済事象の場所・位置・地理的な側面にこだわるのが経済地理学である。

   したがって、経済地理学とは、資源や生産・流通・消費など経済的事象の地上における分布・立地・展開を研究課題とする学問である。経済事象の地表における展開の中に、いかなる規則性・法則性があるのかを研究する学問なのだ。

   去年のノーベル経済学賞の受賞者はアメリカ人の経済地理学者。世の中の経済の現象を説明する有効なひとつの手段として経済地理学は重視されている。今では、グローバリゼーションにより、世界のボーダレス化が進み、企業は世界各地に進出するようになり。そうなると、空間の意味が問われるようになり、より経済地理学が注目を集めた。

 

 

  B.1.中国経済が経済成長を遂げた理由とは

 

   中国は社会主義の看板を下ろしていない、共産党の一党独裁政治である。しかし、市場経済を導入している。

   中国は経済の成長のために、地域(たとえば沿岸部)に権限を与えて、地域間の競争心をひっぱりだした。外国の資本、企業を招いたり、外国と積極的に貿易をすることを許可した。ここでは、経済的に実績をしっかりと残すことを条件にしていたが、これらの地域には、経済における良性循環ができ、中国経済成長のひとつの要因となった。

 

 

  B.2.中国経済の成長はこのまま持続するのか

 

 中国の経済は、一般に以下の正反対の見方が挙げられる。

 1.中国脅威論・・・中国はSuperPower(経済で世界を動かしたり、影響を与えるような力)を持った国であり、今後も経済成長をし続けるだろう。

 

 2.中国崩壊論・・・中国は政治体制がまだ整っていないし、近代化も完成していない。また西洋的な価値観を共有できる社会にもなっていない。つまり成熟した社会が確立されていないために、中国経済はじきに崩壊する。

 

   しかし、許先生はこのどちらの考えも間違っているという。

 

   中国の経済成長率は89パーセント、日本は12パーセントであり、客観的に数値だけを見れば日本と比べても激しい成長を続けているように思える。だが、日本・アメリカ・EUなどの経済大国と中国とでは、経済成長が意味する状況が違うということを認識していなければならない。

経済大国である日本やアメリカ・EUはすでに高度経済成長を遂げ、国民は働くことを希望すれば、だいたい雇用されるような雇用先が存在する。つまり、完全雇用社会が成り立っているのだ。一方、中国は高度経済成長をまだ迎えておらず、雇用先が全然足りていない状態なのである。

   中国の経済成長率の89パーセントという数値は、日本の12パーセントという数値とは意味が異なる。中国では、1パーセントにつき約120万人近くの雇用が生まれるというが、89パーセントでは約1000万人程度で、この高い経済成長率でもまだまだ、足りないのだ。つまり中国は国家として運営し続けるためには、この程度が普通、いやこれ以上の経済成長率が必要であるということを認識しておくべきだ。

 

   たしかに中国脅威論で言われているように、外から見れば急激な成長をし続けるように見えるが、中国自身の内側から見ればたいしたものではないということである。

 

   また、成熟した社会が確立されていないとはいえ、中国崩壊論で言われるような経済の崩壊を招く程でもないようだ。

 

 

 

 

 

B.3.中国の経済躍進は世界にどのような影響を及ぼすのか、また、世界経済回復のエンジンとなるのか

 

   B.2でも見たとおり、今の中国の経済成長率は自国の運営をしていくには当然のものであるため、現在の経済大国である日本やアメリカ・EUの経済に影響を与える程の力はない。またアメリカのコカ・コーラやマクドナルドといった世界をまたにかける顔企業が中国にはないのも、その経済大国に影響を与える程の力はない理由にあたる。

   中国はあくまでもMidlePower(地域大国)であるということだ。

 

アメリカなどの各先進国を考えれば、SuperPowerになるためには、

    ・民主主義であること

    ・多元的社会であること

が必要条件であり、一党独裁の社会主義である中国ではまだまだ経済で世界を動かしたり、影響を与えるような力SuperPowerになることはできないようだ。

 

 

 

 

 

 

許先生のインタビュー弐


  C.1.中国国内の経済格差が縮まらない理由とは

 

 まず、考えなければならないことは、「経済格差は全部が全部悪い」となるのかということ。経済というものは誰が考えるかによって目標や、目的が変わってくる。例えば国家ならば、なるべくバランスよく均等に経済成長を促すという国の立場があるが、企業の場合では、企業価値を上げること・企業の拡大をすることが目的であり、このように国家と企業では、見方の違いがある。

 

 最近では、ある程度の経済の格差は仕方がないという考えが生まれている。人の能力の問題であったり、場所の問題であったり、さまざまな問題があるために、同じようにするには無理があるケースが多い。また今の時代は、先で見たとおりグローバル化、ボーダレス化により全てが、国の思うようにいかないというのが現状なのである。企業は拡大を目指すために、常に最適化を図り、集中と分散をするため、国の力ではこの偏りは変えられない。そのような場合ではある程度の経済格差は仕方がないものなのだ。

 

 中国の状況はどうであるかというとは、実は意図的に格差を作ることによって今までの経済成長を達成してきた。中国という国は、自分の国の力だけで経済を発展させる条件がなかった。そこで、資本主義の市場を活用し、または、対外的な経済をつくることによって経済発展の基盤をつくった。ここで、海外にアクセスしやすい経済特区など、それに適した場所を選ぶことによって、外国の方から人・お金・物がそこに集まる。その結果、どうしても経済の格差がでることは仕方がないものであった。経済発展のために、世界との繋がりを強めたが、内部はバランスが欠けるような状態になったのだ。

 

 しかし、いくら中国の経済が発展したからといっても、この格差をそのままの状態で放置していてもいいかと言われたらその答えは当然NOである。中国だけが経済の発展をしているというのはある意味間違いで、アメリカや日本と同様に、世界の金融危機でのダメージは中国にも降り注いでいる。今の中国はインバランスの下に成り立っているため、今まではこの状態でも自国の経済成長に対して国はまだ成り立っていたが、これからは点検、あるいは方向転換が必須なのである。そうでないと、持続する成長は見込めないのだ。

 例えば、外需に頼りすぎずに内需を重視したり、投資だけに熱を入れるのではなく今の経済大国のように消費活動を活発にしたり、企業のプロジェクトや設備の巨大化を図るだけでなく、環境やエネルギー問題を考慮した効率の良い設備をつくる。そして、都市と農村の格差をゆっくりと時間をかけてでも、是正するように努めることによって、社会の底辺部にいる人々にも経済活動への積極的な参加を促し、真の経済発展、つまり安定した社会を目指すべきなのである。

 

 

謝辞

このたびは、許先生とのインタビューを通して、中国経済のことについての勉強になっただけでなく、インタビューにおいて自分の聞きたいことをちゃんと聞くことができるか、インタビューで聞いたことをしっかりと理解し自分の言葉であらわすことができるかなど、インタビュー・調査をすることの大変さを身にしみて体感しました。

    しかし、それ以上に今回のように貴重な体験ができたこと、また、本などの情報のみでは知ることのできないことまで直接聞くことができたことに大変満足しています。このインタビューで得たものは今後の自分にとって本当に意義のあるものになったと確信しています。お忙しい中、1時間半にもわたるインタビューで、丁寧に、そして熱心にお答えしてくださったことにこの場を借りて今一度感謝申し上げます。

本当にありがとうございました!